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2012/08/26

オージーだって戦隊モノが好きの巻

最初は「日本の番組は人気あるんだなー」と思いながらボーッと見つめていた。 しかし、そのまましばらく見入っていると・・・





んんん!?何だこれは!?日本の番組じゃない!ニセモノじゃねーか!
こっちのオリジナルの番組なのか!?・・・そもそもオリジナルと呼べるのか?w

どういうことかと思って調べてみたところ、日本製の番組だった(衝撃)。

ウィキペディア「パワーレンジャー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

ウィキペディアによると、これまで日本で放送されてきた戦隊モノを海外向けにリメイクし、「パワーレンジャー」として日本から海外へ輸出しているそうだ!しかも、このパワーレンジャーシリーズは1993年に第一作目が製作されていて、既に20年近い歴史があるとのこと。知らなかった・・・(;・∀・)そしてなんと、日本の戦隊モノと違ってパワーレンジャーシリーズでは全作品の世界観が繋がっているらしいw すげー。

他にも色々面白い記述が。
多民族国家であるアメリカの事情を反映して、性別・人種などが可能な限り均等になるよう配慮されて製作されている為、日本版には見られる「メンバー全員が兄弟である戦隊」を登場させる事が不可能となっている。
アメリカの子供番組では表現上の規制が厳しいという事情から、生身の格闘シーンでは攻撃時の効果音は金属音が使われている。また、日本版の映像が使われる部分でもかなり編集が行われている事が多い。例えば、相手の首を締め上げる・毒針を飛ばす・顔への攻撃などは全てカットされている。新規撮影部分も同様で、アメリカ側からの要請で、戦闘シーン全体を格闘技っぽくしてあるとのこと。こういう事情から、パワーレンジャー役の俳優はいずれも格闘技あるいはアクションの経験がある者が選ばれており、シンケンジャーをベースにした新作への出演者募集要項においても、「マーシャルアーツや体操の経験者を優遇」との項目があった
同様の理由で、日本版によく登場する露出度の高い女性幹部も露出度を減らした別キャラに置き換わる事がある。ストーリー上でも、血を流したり、たとえ悪役でも人間が死亡したりするなどは基本的には厳禁とされている(1話限りの悪者でも大抵は警察に連行されるなど、レンジャー達は直接手を下さない流れになっている)。そのため、日本版では死亡したドラゴンレンジャー、タイムファイヤー、シュリケンジャー、アバレキラーもパワーレンジャーでは生き残っている。一方、怪人・怪物は日本同様に普通に倒されている。
ドラマパートには現地の俳優を使い、当初はアメリカで、2002年以降はニュージーランドで新たに撮影している。戦闘パートは初期の作品では殆ど日本版を流用していたが、後に日本での撮影を終えたスーツやオリジナルのアイテムなどを使用して一部を現地で撮影するようになった。
基本的にはアメリカやニュージーランドで撮影をしてるっぽい。オーストラリアのテレビ局が日本の戦隊モノに影響を受けて完全オリジナルを製作してるのかと思っていたのだけど、違いました。日本では世界まる見えなどで紹介されたことがあるそうなので、もしかしたら知ってる人もいるかな??俺はこっちに来てテレビで見て初めて知ったよ・・・。ちなみに2006年の「パワーレンジャー・ミスティックフォース」ではキャストが全員オージーとニュージーだったとか。

公式ホムペもありました。今こっちで放送されているのは「パワーレンジャー・スーパーサムライ」。
http://www.powerrangers.com/

よく見ると各キャラの顔は「火」「水」「木」「土」「光」「天」などを模してますね。うーむw

アメリカで放送されるやたちまち大ヒットとなり社会現象となった。その人気たるや政治家がスピーチ会場にパワーレンジャーを呼び、人気取りをするほどだったという。特にグリーンレンジャー(ドラゴンレンジャー)登場編はアメリカの子供番組史上で最高の視聴率を記録した。本来は全40話で終了する予定だったが、この人気を受けて60話まで延長されこれ以降のシリーズ化も決定した。
玩具も大ヒットし、特にバンダイアメリカが1994年に発売した変形するヒーロー人形は1年で1600万個以上売れた。アーノルド・シュワルツェネッガー主演のジングル・オール・ザ・ウェイは、クリスマスにパワーレンジャーの玩具が入手困難になる現象に着想を得て製作された。
子どもが心惹かれるものというのは万国共通ということなんだろーか。

今月アメリカで開催されたパワーレンジャーのイベント(そんなんあるのかw)では詰めかけたファンがヒーローショーに大喜び。



テレビ番組は探してみれば他にも色々面白いネタがありそう。チラッと画面見るだけでこんな映像出てくるし。確かポケモンもやってたなぁ。ゾイドっぽいのもやってた。
こんな恥ずかしい文字、日本では看板にしません(ただし秋葉原を除く)。
とにかくまぁ、パワーレンジャーを初めて見たときはびっくりした。しかし、最後までこいつらの立ち位置だけはわからなかった・・・。
誰だお前らww
じゃあの!

2012/08/15

邂逅その2:Gene Thompson


大学時代の先生、ジーンとオーストラリアで再会するのは何だか変だった!2年ぶりの再会だろうか。オーストラリアに旅立つ少し前に仕事でブリスベンに出張に行く予定があるとの連絡を受けていたため、予定が合えば一緒に食事をしようということになっていた。ちょうど一週間前の今日、平日の夕方に会ってきた。

彼は元々キウイ(ニュージーランド人)で、これまで何度も仕事や私用でブリスベンに足を運んでいたようなので、どこか美味しいレストランに連れてってくれるのかな~と期待してたのだけど、「ステーキとワイン買って俺の部屋で食おうぜ!」と前日に提案され彼の宿泊先を訪ねることに。そしたらそこがもう死ぬほど洒落乙なアパートの高層階でびっくり。部屋が広いだけじゃなく、夜のブリスベン(サウスバンク方面)を30階の高さからテラスで一望できるというナイスなお部屋。彼は俺の母校の神田外語大学を経て現在は都内の某大学に務めているのだけど、出張ということでこの部屋の宿泊費の自己負担はゼロとのこと。その話を聞いた直後は「あんたいつの間にこんな出世したのよ・・・」と5分ぐらい震えが止まりませんでした。日本でも味わったことのない景色をバックにステーキとワインに舌鼓を打ちながら「よりによってこんなロマンチックな場所でする食事の相手が男かよ・・・!」と、彼に感謝しつつ不満を漏らすという何とも素敵な(?)再会の一夜を過ごしました。いや、それぐらい凄かったのよ、ホント。これを見たまえ!!!



六本木ヒルズでもこんな景色は眺められないんじゃないかなぁ・・・。宿泊先の手配を学校に任せていた彼もこのVIP待遇っぷりに驚いたそうなw

そして会ってビックリしたのは、かなりスリムになっていたこと!神田外語時代は恰幅が良くがっしりした感じだったからその変わりようが信じられなかった。現在の勤務先に移る前は神田外語大発の外語系他大学支援プロジェクトに携わり、広島の某大学でコンサルタント的なことをしていたのだけど、その間に毎日マラソンをしてスリムになったそうな。そういえばFacebookにRunKeeper(ジョギング支援iPhoneアプリ)の記録をせっせと投稿してたなぁ。俺も運動しないとな・・・。

再会の感激もそこそこに、腹ペコな二人は急いで近くのスーパーへ。買い出しではチーズやワイン、フランスパンを数ある銘柄の中からテキパキと選ぶジーン。普段のグルメっぷりを想像させるその手際の良さのおかげでお部屋に入る前からワクワクが止まりませんでした。
ステーキを焼いてくれたジーンさん
「ウマいステーキを食うには焼いた後に数分待つのがベストだぜ!」と調理中もグルメ思考バリバリで期待を絶頂にあおっておきながらも塩とコショウを買い忘れ味付けゼロで食わせるというお茶目な一面も発揮。

しかし、前菜にムール貝と白ワイン、メインディッシュのステーキには赤ワイン、その後はフランスパンにフランスチーズという、この夜景におあつらえむきの布陣に僕は見事にやられました。こうやって女を落とすのか・・・!と彼の真骨頂を垣間見た気がしました。メインディッシュでワインを替えるのがポイントなんですね、先生!

他にもあんなことやこんなこと、神田外語時代に俺らを教えていた際(6年も前だよ・・・)のぶっちゃけ話などを話すうちにあっという間に帰宅の時間となってしまった。教師と生徒の関係を超えてこうした付き合いができるって、良いなぁ。いい教師に恵まれたな~。やっぱり、色々と良い出会いに恵まれてますね、俺は。

ところで、教授とこんな関係を築くのって、外国人教師に限らずうちの母校では結構普通なんだけど(学生とはいえ酒も飲めるいい大人だしね)、他の大学ではどうなんだろう?この話はよく友達としてたんだけど他大の様子を知らないから答えが出ない。外語大だからこんなにフレンドリーなのかな?とも思ったり。東大とか歴史ある学校でも割とフランクな関係があったりするんだろーか。

楽しかった!お代もワイン代を除いてご馳走になってしまった。ジーン、ありがとう!また会おう!!!

2012/08/13

邂逅その1:丸岡さん&石亀さん

Facebookの方では既に写真を投稿済みなのでご存知の方も多いかもしれませんが、先月28日、ついに丸岡さんとご対面することができました!当日はクイーンズランド大学にお邪魔し、日本滞在時からお誘いを受けていた丸岡さん主催の通訳セミナーに参加してきました。

丸岡さんのことはマミねーねーを通じてツイッターでご紹介を受けたのがきっかけ。出発直前、6月末にマミねーねーの自宅で開催されたホームパーティーでSkypeのビデオチャットを通して画面越しに初対面。モニター上で初めましての挨拶を交わすというちょっと不思議な体験でしたw お会いできるのを楽しみにしてたから、無事にご対面を果たせた時は嬉しかった。
6/23 PC画面に映ってるのが丸岡さんw この時初対面。この一週間後ぐらいに坊主に。
セミナーは「社内通訳・翻訳の仕事」という題目で、オーストラリアに移住後フリーランスとしてお仕事をされている女性通訳者の方が、日本国内の某製薬会社で社内通訳者としてキャリアを重ねていた際に得た経験や教訓をもとに、これから通訳デビューを考えているプロ志望の人を対象にアドバイスなどを語ったものでした。日本ではもっと実務的なセミナーを受けていたから勉強になった。

このセミナーはUstreamを通してリアルタイムで配信されていたようで、いつもお世話になっている通翻クラスタの方がネット越しに質問をされていた。日本で通翻関係のセミナーに参加していた際は、いつもは海外在住の日本人通翻訳者の方がチャットで質問をされるのが普通だったため、これまたなんだか不思議な感覚だった。未だに外国にいる気がしないのだけど、この時は物理的な距離を感じたなぁ。

セミナーの他の参加者は殆どがクイーンズランド大学の通訳翻訳課程(MAJIT)でみっちり勉強をされている学生ばかりで、セミナー終了後はお話することができた。
その際に丸岡さんのお話を伺って興味深く思ったのが、「通訳や翻訳に対する世間や企業一般の考えは日本以上に浅く、待遇も厳しい」というものだった。「英語ができれば通訳や翻訳なんてできるでしょ」的な考えがより一層強いらしい。
これまでツイッター上で通訳や翻訳に対する日本での世間一般の認識の甘さが通翻訳者たちの間で度々問題視されるのを見てきたから、英語が公用語のオーストラリアではもっとマシな状況なんじゃないか・・・と勝手に予想していたのだけど、まるっきり逆の話でびっくりした。

けど、よく考えたら、歴史的に移民の国だし、むしろ移住してくるよそ者達がこっちの言語に合わせて英語を習得するわけだから「英語なんてチョロいぜ」的な考えが強くなるのも当然だろうという話でした。日本みたいに国をあげて英語学習に躍起になって必死に勉強する(しかし誰も話せないという・・・)という現象が起こってないから、「英語が難しい」という認識自体がそもそも低くいため「英語ができればあんたの母国語で通訳(翻訳)できるでしょ」という考えがより一層強いのだとか。「ここでゼロから勝負しようっていうフリーランスは厳しいんじゃないかなぁ」という丸岡さんの言葉がとても印象的で、この日はとても良い勉強になった。日本のように翻訳者や通訳者同士が集まるリアルのコミュニティが無いために、プロ同士の交流が乏しいという話も興味深かった。通訳翻訳課程(MAJIT)の学生のみなさんからは刺激を受けました。

交流会終了後には一悶着あったのですが(笑)、その後丸岡さんがGrill’dというハンバーガー屋さんに連れていってくださり、ご馳走になってしまった!オーストラリア初の外食は大変美味でした。(トップ写真参照)

写真右が丸岡さん、奥が石亀さん。石亀さんはオーストラリアの某IT企業で社内翻訳をされているとのこと。JAT(日本翻訳者協会)の会員としても活動されているそう。石亀さんのことは失礼ながら全く存じ上げてなく、交流会の場で初めてお会いしご挨拶させていただいたのだけれども、彼は俺のことを以前から知っていてくださったようで驚かされた。なんでも、Facebook上で他の通翻訳者の方の「イイネ!」などを通して俺の写真や投稿が目に入っていたそう。「確か沖縄の方ですよね・・・?」と石亀さんの方からお声をかけてくださった時は、改めてネットの凄さ(怖くもあったけどw)を実感しました。

日本では何度もJATのセミナーに足を運んで勉強させてもらったけど、微々たることでもやっておいてよかったなーと感じた。まさかプロでもない俺のことをお会いする前から知ってもらえるなんて・・・と感激した出会いでした。その他にも、交流会のメンバーの中に高橋さんの会社員時代の同僚がいらしたりと、「世の中せめえ・・・」と思うことしきりで、ますます外国にいる実感の薄れる日でありました。

丸岡さん、この日はセミナーに呼んでいただきありがとうございました。ハンバーガー、ご馳走様でした。

2012/08/01

オーストラリア第一週目:ホステルでの日々

オーストラリアでの最初の一週間は忙しかったけど、楽しい時間も多くあった。ホステルで友達ができるなんてまったく期待してなかったけど、ラッキーなことに日本人の女性を見つけ、彼女をきっかけに外国の友達をつくることができた。バックパッカーはやはり人種のるつぼといった感じで、俺が滞在中に見ただけでも、イギリス、カナダ、ドイツ、ベルギー、イタリア、フランス、パプアニューギニア、韓国、中国、台湾と世界中から多くの人種が集まっていた。俺が特に仲良くなれたのはフランス人。リュック一つで世界中を旅する人々が滞在するバックパッカーは毎日出入りが激しいからなかなか多くの時間を共に過ごすのは難しいだろうと思ってたのだけど、彼らが長く滞在していたおかげで(まだ残っている人もいる)仲良くなることができた。

新しい物事や人々との出会いは自分にはない考え方やアイディアをくれるからいつも新鮮で楽しい。異国の地で異国の人々と交わす会話は偏見や固定概念にとらわれずに物事を考えることの大切さを教えてくれる。生まれてこのかたずーっと日本にいたから、自分の思考回路や価値観が凝り固まっていることに気づかされることがこれから沢山あるんだろうなー。彼らの質問を受けて日本についてまったく知らないことに気づかされたり(わかってたことだけど)。そしてそういう質問をされると、俺は日本人として見られていて、そして今外国にいるんだなーと気づかされる。この感覚は大学進学のために地元沖縄を離れ内地(本土)に上京した際、周囲のないちゃー(沖縄出身者以外の日本人)たちに色々な質問をされた時のそれに凄く近い。あいつら「沖縄ってカラオケあるの?」「パスポート必要なんでしょ?」とか平気で聞いてきやがるからな・・・。田舎者丸出しだった大学一年生の頃は本当に周囲の先輩や同級生にこんな質問をされてました。マジで。しかも冗談には聞こえないトーンで聞いてくるんです・・・w お前らいい加減にしろ!と内地で暮らす沖縄人は思ってますよ。・・・このブログの読者の大半を占めるであろうないちゃーに若干喧嘩を売るような書き方をした気がするけど知りませんw
まぁとにかく、ここで友達が作れてラッキーでした。周囲を眺めるとやっぱり同じ人種同士集まるみたいなので、こうしてフランス人と仲良くなれてよかった。
そして、ホステル滞在中に学んだある意味大事なことは、外国人連中の寿司への愛w寿司が外国で人気なのは誰でも知ってるはずだけど、まさかここまで好きだとは思いも寄りませんでした。街にも持ち帰り専門の寿司屋がたくさんある。しかもそこに列作って並んでやがる。どんだけ好きやねん。多分日本人以上に好きです。外国人のこの寿司好きは日本にいたら知れなかったことだと思うw 地味に重要なことを学びました。内地に出たことで地元沖縄を客観視できたけど、やっぱり外国に出ないと日本のことはわからないね。
この日は日本人女性の提案で巻き寿司パーティーをしたのだけど、彼らは食べるのにも増して巻く方をエンジョイ。一人一本以上巻いてます。こんなに巻いて誰が食うねん。日本だと寿司は寿司屋で食べるのが普通だから、巻き方を教えるのに苦労したなぁ。
寿司カルチャーとグローバリゼーションについて説明中

ていうか俺も初めて巻いたわ!

包丁がうまく切れない。 
初心者にありがち:欲張りすぎて食材がはみ出る




そして折り紙!折り紙には絶対に食いつくだろうと思い日本から持ってきていたのだ。
しかしまさか2時間以上も引っ張れるとは思わなかったわ・・・。


日本はどこもかしこもアルファベットだらけで何となくアメリカの価値観に洗脳されてる気がするから、こうして非英語圏の人たちと交流できるのは本当に嬉しい。彼らが何をどんな風に考えているのかを知るのはとても大事だと思う。イスラエル人とかとも話してみたいなー。しかし彼らはフランスとフランス人が嫌いだとしきりに言ってくるせいで俺の中のフランスの華やかなイメージがどんどん崩れていくw 俺が地元を離れて内地で過ごしたことで地元や沖縄人の考え方に疑問を持つようになったのと同じように、彼らも母国を離れていろんな人と交流する過程で見えるようになった部分があるのかもしれない。

日本の女の子の写真のマネをするロビン(右端)
この日は美味しいお寿司を食べたわけだけど、普段は質素な食事をとってます。外食はべらぼうに高いので自炊をしようと頑張っているのだけど、なにせ今まで全く料理をしてこなかったもんで毎日悪戦苦闘です。調理と言えば、①ボタンを押す ②お湯を注ぐ の二つしかアビリティをマスターしていなかったので、「オーストラリアにいる間に料理のできる漢になったるわい!」と、これも自分を磨くチャレンジ花婿修行のつもりで頑張ってます。


ホステルに滞在していた間は毎日3食パスタw 大学時代からSkypeでやりとりをしているロシア人の友達にこれを話したら、わざわざ俺のためにレシピを作りメールで送ってくれた!おかげで茹でたパスタにトマトソースをかけるだけの地味な料理だけでなく、ヒレ肉とマッシュルームとミルクを使った美味しいパスタも調理できました(結局パスタかい)。まぁ料理できない男はパスタっていうか麺を食べるしかないよね・・・。
彼女が美味しいパスタのレシピをくれなかったら毎日トマトソースのパスタを食べてました。しばらくパスタはいいかな。

今の家に移ってからは、毎日ジャガイモ!w
ポテトロスティという料理のレシピに挑戦してるんだけど、何回やっても同じように作れない笑 でも味は美味いよ!
サーモンを切らした後はひたすらジャガイモを炒めて食べてます。

3日前の朝食。
なかなかいいダイエットになってる気が!!お菓子もあんま食べてないし。果たして帰国時の俺の体重と見た目はどうなっているのか・・・!?
このブログでは料理の写真もアップしていきたいなー。誰か簡単に安く作れるレシピがあったら教えてください!

ではまた!じゃあの!!

2012/07/12

滞在10日目だが外国にいる気が全くしない件

こっちに移って10日余りが経った。2日に入国して、国内線に乗り換えブリスベン入りしたのが3日。到着直後からしばらくは結構バタバタして焦っていた。
というのも、日本では3日~7日の5日間のみしかホステルの予約をとらずに入国していたため、その間に新居を探す必要があったのだ。当初は語学学校の提供するホームステイを利用しようと思っていたのだけど、高すぎて断念(一ヶ月に10万円も取られる!)。「普通の人には絶対にオススメしないけど、証さんなら『多分』大丈夫」という日本ワーキングホリデー協会の担当者からのアドバイスに賭けて入国していたのだった。9日から語学学校での2ヶ月間の授業が始まることになっていたから、つい最近まで「学校が始まるまでに家を探さないと・・・」と結構ヒヤヒヤしながらホステルで過ごしてました。

結果的には、市街地から徒歩30分圏内の場所にいい物件を見つけることができました。今はコロンビア人2人、フランス人1人、中国人1人と韓国人1人の計5人と共同生活を送ってます。この家で過ごすのは今日で5日目かな。この記事も今その家で書いてます。

語学学校での生活も今日で4日目を迎え、だんだん生活リズムが落ち着いてきたのだけど・・・全く外国にいる気がしない!!ちょっとショック。なーんか、関東から車で数時間程度離れた日本国内の別の場所で過ごしてるような気がするんだよねえ・・・。沖縄の米軍基地の中で生活してるかのような。イマイチ刺激を感じない。なぜなんだろーか。もしかしたら、関東と変わらないぐらい発展した都会に身を置いているからかもしれないなぁ。ブリスベンの市街地は東京と変わらないぐらい発展していて、何でも揃ってる。・・・入国した初日から「何コレヤベー!!!!」っていう衝撃を1メートル毎に受けるのを期待してたんだけど>< 

外国っぽさを感じる建物は沢山あるんだけどねえ・・・。
ブリスベンの市街地


 もちろん、面白いなーと感じることもいくつかありましたよ。例えば・・・

横断歩道の注意書きの歩行者がやたらマッチョなオージーだったり。オージーは骨太すなぁ。ハルクかお前ら。


やたら肩身の狭そうなエレベーターの男性。
そして「Lift」の文字。入国して最初に触れたブリティッシュイングリッシュ!国内線のターミナルでこれを発見した時には「もうオーストラリアにいるんだなー」と感じました。 


面白かったのが、スーパーのバナナにプロテクターが装着されてたことw
先端についてる赤いやつがプロテクター。薄いゴムだった。 


そして天気予報がやたらカッコいいね!


ここ数日のブリスベンは雨続きです。
6つの州と1つの島を領土に持つオーストラリアの天気予報では、最初に州ごとの細かい天気を見ていって、最後にオーストラリア全体のその日の天気を確認します。 

そうそう、ちょっと意外でびっくりしたのが、想像していた以上に自分の英語が通じる&相手の英語が理解できるということ。入国する前は自分の英語は全くダメダメでなーんも通じない上に相手の英語も全く聞き取れないだろうなーと思ってただけにちょびっとびっくりした。・・・まぁ、これだけ長いこと英語勉強してて全く通じなかったら通訳とか言ってる場合じゃないだろって感じなんだけど。日本でしか勉強してなかったからコミュニケーションに苦労するだろうと思ってた。けど、銀行の口座開設もスムーズにできたし、英語が通じる国であればとりあえず住む分にはどこに行っても苦労しないレベルの英語力が今の自分には備わっているだな、という客観的な感触を得ることができました。もしかしたら、これこそがまさに「外国にいる感」を得られない原因なのかも。これについてはもっと色んな場所に行ってみないとわからんなー。ド田舎に行って方言バリバリのオージー英語を聞いたら外国感を感じるかも。入国10日目にして既に若干退屈気味なのでどこかブリスベンの面白い場所を知ってたらコメントで教えてくださいw

今日のところはここまで!次回はホステルでできた友達との写真でも貼ります。ネタは色々あるからちょこちょこ書いていくようにします。日本では見られないものを発見するたびに写真を撮ってるしね。今後しばらくは今日の記事のような「ちょっとしたカルチャーショック」を紹介していく感じになるかも。せっかく人生初の海外生活を送ってるんだから、普段から目を尖らせて些細なことにも気づけるようにして、そこから何かを感じ取ったり考えたりすることができたらいいな~と思ってます。 じゃあの!

2012/07/03

感謝感謝ってあんまり言いたくないんだけどさぁ・・・

「出発前に記事書くよ!」と散々言いふらしてたくせに、初の海外長期滞在ということもあって部屋の片付けが遅々として進まなかったせいで(80Lのバックパックじゃ入れたいものが全然入らん!)、結局出発前に記事を書くことができなくなってしまった。みんな、ごめんw 今、この記事は成田空港行きのリムジンバス・・・とジェットスターの機内で書いてます。でもよく考えると、これってかなりノマドですね。前のブログでも記事は殆ど外出先で書いていたけど、今後はこれまで以上にノマドを実践していくことになりそう。楽しみ。
タイトルのことなんだけど、俺は性格がひねくれた人間だから、感謝の気持ちを普段からしょっちゅう言いまくってるような人間には、どうしても「言うほど感謝してねーだろ!」と心の中で思ってしまう。なんか、その言葉を口に出して言えば言うほど安っぽく聞こえるんだよね。だから、今の自分が周囲に対して抱いているこの感謝の気持ちを客観的に考えると、そんな自分の性格との矛盾に嫌でも気づかされて自己嫌悪に陥ってしまう。「みんなありがとう!でも悔しい・・・!ぐぬぬ///」みたいな笑。 煩悶している。 それぐらい、日本を離れる気持ちを固めてから今日に至るまでの間に、数えきれないぐらい、今の自分が多くの人や状況に支えられているということに気づかされた。その事実と気持ちをまず最初にこのブログに書いておかないと、きっとダラダラ過ごしてしまうし、これだけの支えに感謝の気持ちを述べておかないのは最低だ。・・・ああ、だんだん嘘っぽく聞こえるw

1. 通翻クラスタの先輩たち
ツイッターを通して知り合うことができた、通訳者・翻訳者、コーディネーターのみなさん(通称通翻クラスタ)。人生の先輩たち。勇気を出して飛び込んだオフ会をきっかけに、リアルでの関係にまで発展させていただけた。彼らは同業者たちとの交流や情報交換を基本的な目的としてツイッターをやっているから、本来はプロでもないただの小僧の俺なんて相手にしなくても良いはず。むしろ時間の無駄でしかない。それにもかかわらず、いつも嫌な顔一つせずに、俺の無知な質問にも気さくに応えてくれる。俺がブリスベンやメルボルンに行く予定だと話したら、現地に滞在されている翻訳者を紹介してくれ、紹介いただいた方には「ブリスベンで通訳セミナーやるからおいでよ!」と誘ってもらったり、現地での携帯電話番号を手渡してくれた。

その上、つい最近はわざわざ俺のために(本当は違うかも・・・w)、スイーツ好きの女性翻訳者数名がスイーツ送別会を開いてくれた。「15時から仕事があるから途中まで参加します!」と忙しい中来てくださった方もいた。正直、「何でここまでしてくれるの?おかしい。」といつも思ってる。そう思うぐらい本当によくしていただいている。通翻クラスタの先輩たちは殆どがフリーランスだから、24時間、いつでも自分の裁量で好きな時に仕事をされている。つまり、逆の言い方をすれば仕事をしていない間は機会損失が発生している。わざわざそんなコストを支払ってまで、俺のあの長ったらしいブログを読んでくれたり、俺のために送別会を開いてくれたり・・・。

自分が目指している人生を走っている先輩たちにこんなに良くしてもらっている俺は、本当にラッキーだと思う。


メルボルン在住の@au_amanekoさんの一時帰国に合わせたホームパーティー。電話番号を頂いた。ブリスベンの丸岡さんにはSkypeでご挨拶させていただいた。「向こうでも通(翻)訳者に会えたらいいな・・・」と密かに期待していたから、旅立つ前からこうして繋がりを持てたことは嬉しい。


ホームパーティーの場でお菓子が好きだと話したら送別会としてスイーツ会(女子会)を開いてくださった。大人の女性の女子会に男一人(もはや男の子でしかないw)で参加したからちょっと緊張した笑
いままで同業者向けのオフ会に俺が飛び込む形で先輩たちとお会いすることは何度もあったけど、この時は俺のために、しかも彼女たちの方から企画して集まってくださったから、本当にびっくりした。ありがとうございます。


以前沖縄で活動していたことから、自ら「ねーねー」と名乗り姉貴分としていつも俺の面倒を見てくれるマミ姉さん。感謝してます。

2. 友人たち
友達たちも俺のために送別会を企画してくれた。俺はいつも、空気なんてものはある意味壊すために存在するものだと思ってるから、好き勝手な言動を見せてる。人より好き勝手にしてるから、その分人を傷つけるような言動も沢山見せてきたと思う。だから、こんな俺のために自ら幹事を買って出て会社員として忙しく働きながら送別会を企画してくれて、そしてそれに20名超も集まってくれたのは今でも信じられない。あの場でも、「みなさん今日来る場所間違ってませんよね!?大丈夫ですか?」と冗談で確認したほど。中には、数年前にたった一度mixiのオフ会で会っただけにもかかわらず、餞別を渡すためだけに予定の合間を縫って顔を出してくれた方もいた。ありえない。本当にありがとう。



そして、これは今でも理解不能なんだけど、なぜかみんなから山ほど餞別を貰った。なぜか花束までw 送別会をやるのはまだわかるけどさ・・・。別に俺結婚したわけでもなく、たかだか一年か二年日本を離れるだけなんですけど!?むしろ大学の友達の間では海外生活を送ったことのないやつの方が珍しいぐらいで・・・。なんかもうハードル上げられ過ぎてマジ怖い。花束を受け取った瞬間、「あ、これはもう下手な理由では帰れないな」と悟った。幹事のニッシー、ちりこ、そして来てくれたみんな、ありがとう。

3. 家族、母親、師匠、高校時代の先生
高校選びも、大学進学のために沖縄を離れることも、会社を辞めることも、そしてオーストラリアに旅立つことも、全部自分の意思で決断してきた。やりたいことや目標のために。これだけ並べてみれば、自分一人で人生をカッコ良く切り拓いているかのように見えるけど、それらを実現できたのも支援してくれた人たちがいたからこそ。通訳という世界を初めて知ったのは、あらかじめ学校から提示された選択肢を無視して、希望欄に「通訳・翻訳」と書いた俺のイレギュラーな紙を真面目に対処してインターンシップ先を探してくれた高校時代の先生のおかげだし、彼女が後に俺が師匠と呼ぶことになる通訳者に出会わせてくれた。そして、師匠を通して、通翻クラスタの先輩方と繋がりを持つことができた。
そうした全てに一切口を出さず、「あなたの人生だから」と見送ってきてくれた母親。今日、叔母の家から空港へ出発する直前の電話で「母親としては安全に生きてほしいけど、危険な道を選ぶのもあなたの人生だから、夢のために頑張ってね」と言われた時には涙が出そうになった。俺は決して生きているのではない。生かされているのだと思う。長年居候させてもらっていた叔母にも何度も迷惑をかけたと思う。一人っ子で片親で育てられたから、家事をすることを全く知らなかった。そのせいで何度イライラさせたかわからない。早く経済的に自立したい。自分のやりたいことでメシを食えるようになりたい。それがどれだけ難しいことか。俺はもっともっと努力しなきゃいけない。

4. 今のこの時代にこの年齢で生きているという事実
ツイッターやFacebookといったネットのサービスが登場し、ネットでも実名で行動することが当たり前になってきた今の時代。もちろん、メリット・デメリット両方あるけど、俺がこの状況から受けている恩恵は計り知れない。ツイッターがなかったら俺はマミねーねーをはじめとする先輩方と出会えていないし、師匠のことを師匠と呼んでいないだろうし、業界のことも今以上に知らなかった。IJETやJTF翻訳祭なんてイベントの存在も知らなかっただろう。今では、今日という時代のおかげでこうしたイベントを知り、参加することができているし、参加できない場合でも自宅からライブ中継を通して勉強させてもらうことができている。
俺が周りの友達たちにことあるごとに「ブログ書け!」とか「ツイッターでもっとガンガン自分から知らない人と絡んでいかないと!」と言っているのはこうした理由から。俺の周りにも、正社員の道を選ばずに目標のためにもがいている奴らが沢山いるから、こうした時代の流れを理解して積極的に活用して欲しいと強く願っている。俺たちは素晴らしい時代に生きている。しかも、30代でも40代でもなく、20代前半という年齢で。だから、俺は今のこの時代にこの年齢で生きているという事実に感謝している。理不尽な処遇に遭う可能性は限りなく希釈され、後は己の努力のみの世界になりつつある。

オーストラリア。ワーキングホリデー。期待ももちろんあるけど、不安も大きい。通訳者や翻訳者になるという目標を達成するために俺なりに考えて選んだ選択肢だから、今の自分に足りないものを獲得できると睨んで下したこの決断にはそれなりに自信を持っている。・・・けど、やっぱりそんなかっこいいこと言っても不安だよー! だって人生初の海外暮らしで一人ぼっちだし。色んな不安がある。特にお金。そういう気持ちが大きかったから、出発数日前には、色んな人に「もしたった一週間で涙目になって帰ってきたら、その時は何も言わずそっと俺を抱きしめてくれ」なんて冗談ぽく言ってた。今考えると、これは保身の言葉で、本当にそうなった時の逃げ道を作ろうとしていたのだと思う。
でも、今さらそんな根拠の無い不安についてうだうだ悩んでてもしょうがないんだと気づいた。もうこの日が来ちまったんだから、今日までの時間を後悔しても時間の無駄だ。あとは向こうでどうにかするしかない。やるしかない。でもその代わり、もし本当に、一週間後、あるいはたった一ヶ月で帰って来るようなハメになった場合には、そのこと自体を、胸を張って、決して卑屈にならず、笑い話として送り出してくれた仲間や先輩たちに報告できるようにしよう。そう思った。今のこの条件でベストを尽くして不安と闘うしかない。やれることは全部やる。それでも駄目なら、それでいいじゃん。やれることをやり尽くしたなら、きっとどう転ぼうが納得できるはずだし、堂々と帰国できるはずだと思う。それを実践するには、これまでの24年の人生で形成されてきたガキの貯金のようなプライドを捨てなきゃいけないだろう。

・・・多分、この考え方はきっと男として人生で重要な考え方で、今の俺に不足している部分じゃないだろうか。通訳、翻訳、英語に関係なく、このワーホリでは人生で大事な教訓にも目を向け、学びとっていきたい。 俺は色んな人や環境に支えられている。それらを裏切るようなことは絶対にしてはいけない。常に誠実でありたい。これから直面するであろう困難の過程で、くじけそうになったり、だらけそうになったりした時にそのことを思い出し、自分を奮いたたせるために、現地での活動を開始する前にまず先にこの記事を書いておきたかった・・・のだけど・・・ww

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