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2013/07/02

絶対に働きたくないでござる!なオージー社会


オーストラリアでカルチャーショックを受けることの一つに、現地で暮らす人々の仕事に対する価値観がある。基本的に、みんな仕事が嫌いだ。仕事をしないで過ごせたらいいなーと思っている節がある。そんな感覚で仕事をしているもんだから、外食をすると、「こいつありえねー・・・!」と店員のサービス(接客)の質の酷さに唖然とすることが何回もある。たとえば、この写真。

ブリスベンのマクドナルドでセットメニューを注文した時のことだが、渡されたドリンクはカップ全体がびしょ濡れ。これにはなかなか驚いたwこれを手に持って飲めと申すかお主・・・!と驚き店員の顔を見るが、気にも留めない様子。表情に一点の曇もないので、恐らくこれが普通なんだろう。他にも、某インド系レストランのカウンターで、インド人店員の発音が全く聞き取れず4,5回ぐらい聞き返したら思いっきりため息をされたこともある。さすがの俺もこれにはマジギレのあまり「マネージャーを呼べ!」とクレームしそうになりました。やらんかったけど(やれよ)。他にも、お冷を頼むとテーブルの上にドンッと音をたてて置いたり。けれど、店員は怒っているわけでもなく、むしろ笑顔である。日本人にとって、オーストラリアでのこうした雑なサービスは細かい部分に至るまでよく目につくことだろう。逆に、日本のファミレスやレストランで自分がこんな接客をしようものなら、間違いなく上司やマネージャーに注意される。

欧米圏の出身の人々が観察するとまた違う感想を抱くのかもしれないが、オーストラリア人を怠け者だと思っているアジア人は多い。日本人にとっては、上で例を挙げたようにオーストラリアの接客の質は酷く、それが鏡像となって日本の接客レベルの高さに気づかされるきっかけになる。海外での生活を経験したことがあまりない日本人にとっては、日本での接客が「普通」であるからこそ、いざ海外に出てみた時に受ける接客は耐え難い洗礼という風に映るのではないだろうか。

彼らをよく観察してみるとわかるのだが、これはただ単純に接客の質が悪いという話ではなく、もっと基本的な労働観に関わっている。何が言いたいかというと、オーストラリアには仕事なんてどうでもいいと思っている人が多いということである。日本人ほど仕事に真剣に臨んでいないし、日本人ほど責任感もない。彼らにとって仕事とは、「金を稼ぐために、定められた時間、規定の職務を果たさなければならない」程度の認識であり、それ以上でもそれ以下でもない。だから、給料さえ発生していれば、接客態度の改善や業務の効率化などというものはやる必要のない作業であり、極端に言えばエネルギーの無駄遣いでしかないのだ。日本人のように自ら進んで改善に努めるなんてことはありえない。そんな人達が仕事をしているのだから、当然、接客も雑になるのである。オーストラリアにやってきて長年住んでいる移民や長期滞在者たちも、彼らのこうした労働観に浸り、次第に溶けこんでいくのだろう。

・・・と、オーストラリア社会の労働観を悪く書いたが、別にオーストラリア社会を貶して自国の素晴らしさを説くのがこの記事の目的ではない。言いたいことはむしろ真逆だ。個人的には、このオーストラリアのテキトーな接客は嫌いではない。というよりも、「日本もこんな感じだったらいいのに・・・」と思うぐらいだ。

というのも、既に説明した通り、オーストラリアで働くほとんどの人が仕事はどうでもいいと思っているので、客も大して店員に期待していないからだ。日本のように店員が気を利かせるのを黙って期待するのではなく、何か特別な配慮がほしい場合、自分からガンガン店員に頼んでくる客が多い。恐らく、「安かろう悪かろう」の観念が接客に対して広く一般に共有されているからではないか。上に挙げた雑な接客例も、高級レストランであれば起こることは絶対に無いだろう。

一方で、日本ではファーストフードからファミレス、居酒屋に至るどこに行ってもある程度質の高い接客が受けられる。標準的な接客レベルが高い。これが逆に、些細なことでもクレームをつけたり、無茶な要求をしてくる悪質な客を生み出す原因になっているのではないだろうか、と思う。「質の高いサービスが受けたければそれに見合った対価を支払わなければいけない」という消費者意識が日本人には希薄であるような気がする。

消費者にとって、どこに行ってもそれなりにレベルの高い接客が受けられる日本はありがたく、素晴らしい環境だ。しかし逆に、サービス提供者側の立場になり実際に自分が接客をしてみると、「なんでこんなことでいちいち文句を言ってくるんだよ・・・」、「何だこいつの要求は・・・!」と、横柄とも言える客の態度にうんざりさせられることは誰にもあるはずだ。こうした客の多くは無意識的に「お客様は神様」という考えに基づいて動いている。このような客が生まれ増長する原因には二つあるのではないか。

一つは、消費者を大事にするあまり積極的姿勢を超えて滅私奉公になりがちな日本人的サービス。消費者に要求する対価に対してサービス過剰であることが多いということだ。

そしてもう一つが、「客とのトラブルを生みたくない」という消極的な接客姿勢。こちらから積極的にあらゆる気を配り客の不自由の排除に努める一方で、トラブルを恐れるあまり客の横暴な要求にさえもハイハイと返答し、無理をしてでも応えようとする。

日本人(あるいは日本企業)のこの二つの労働観が「お客様は神様です」の上にあぐらをかいた悪質な客を生み出す根本原因であり、「サービス(接客)に対する対価」という概念が日本の消費者に浸透しにくい原因になっている。結果、「お客様は神様です」の概念が消費者側に内面化し、「俺達は神様なんだ」と思わせてしまうことになるのである。ファーストフード店に高級レストラン並のサービスを求めるのはおかしいとは思わないだろうか?多くの日本人はそう思わないのである。多くの人々は「払った金額」が受けられるサービスの質を決めるのではなく、「金を払ったかどうか」だけが最高のサービスを受ける権利を決定すると思っているのである。そうした客の要求に対してノーと言えない日本人は、結果自らの首を締めることになるのである。目に見えない「サービス(接客)」に対しても「安かろう悪かろう」の概念が消費者一般に浸透するようになれば、サービス提供者側の肉体的、精神的、そして時間的負担は大きく改善されるのではないだろうか。そのようなことを、マクドナルドで貰ったあのびしょ濡れのカップと店員の笑顔を見ながら考えさせられたのである。

・・・もうね、オーストラリア人の怠け者っぷりにはビビりますよ。東海岸のクイーンズランド州なんてね、日曜日と祝日は時給2倍って法律で定められてるんですよ。3回ぐらい日曜日に働いたことがあるけど、時給4千円超でしたよその時は。「本来休むべきである日曜祝日に働かせるのだから、これぐらい貰う(支払う)のが当然だ」という考えがあるわけです。これだけでもどれだけみんなが仕事したくないかがわかるはず。普段も、勤務時間が終わったら疾風のごとく消えます。日本人みたいにダラダラ残ったりしません。

でも、繰り返しになるけど、これはあくまで日本人から見たら怠け者に見えるというだけで、俺は決して悪いことだとは思わない。それだけ、彼らは自分の時間を大切に考えているということだからです。仕事よりも自分のプレイベートや友人・家族との時間を重視するのが彼らの人生にとって当たり前だということです。幸せな生き方だとは思いませんか?


もう少し、日本人は手を抜いて仕事をしてもいいんじゃないだろうか。勤勉・真面目は日本人の美徳だけど、今の日本社会では多くの人々が鬱積した不満を抱えながら仕事をしている。テキトーにやる程度が世界的には標準レベルなんじゃないの?と思うのであった。

2013/04/07

日本の漫画・アニメはやはり最強だったの巻

「立ち読み」という文化
オーストラリアに来て4ヶ月目ぐらいのことだっただろうか。日本ではごく当たり前だったある習慣が失われていることに気付いた。それに気付いたのはふらっと本屋に立ち寄った時のことだ。そこで目にしたのは様々な英語小説と一緒に並ぶ日本の漫画の数々だった。英語訳された日本の漫画に真新しさを感じながら気付かされたのは、「そう言えばこっちに来て一度も漫画の立ち読みをしたことが無かったな・・・」ということである。偶然本屋に寄るまで気づかないほど、立ち読みという習慣はいつの間にか無くなっていたのであった。日本で立ち読みをする絶好のスポットと言えばコンビニだが、日本のコンビニと違い、オーストラリアのコンビニには漫画の置かれていないことが当たり前で、そのコンビニもそもそも日本のように気軽に立ち寄れるほどあちらこちらに点在しているわけではなく、市街にでかけなければ目にすることはあまりない。「漫画を読むために本屋に買いに行く」という明確な理由がない限り、漫画に触れる機会が一切無いのである。図書館にも漫画はあるが、新作があるわけではない。これはオーストラリア以外の国でもそうなのかもしれないが、「漫画の立ち読み」という習慣、あるいは文化が存在していないようにすら感じる。本屋では中身が確認できるようになっているため、漫画以外のものも含め確認程度に読むことはできるが、漫画雑誌や単行本を丸々タダで読むような日本的な漫画の立ち読みカルチャーは存在しない。日本人は「コンビニに寄ったついで」「待ち合わせの時間つぶしに」といった「ついで」の機会を通して漫画に触れる時間が圧倒的に多いだろう。
少年漫画だけでなく少女漫画も多く見られた
日本の文庫本と比べるとかなり大きい






手塚治虫は海外でも漫画の神と認識されているようだ







日本の漫画産業の売上低下の原因について語られる際に、コンビニ利用客の立ち読みがやり玉にあげられることが多々ある。立ち読みは間違いなく出版売上の低下の要因の一つだが、立ち読みを一つの文化として捉えた場合、この文化が与える漫画産業あるいはアニメ産業への影響は大きいのではないだろうか。つまり、消費者が立ち読みを通じて日常的に漫画に触れることで、彼らの目が肥え、やがて消費者全体の漫画に対する審美眼が磨かれ、レベルが底上げされるということである。結果として、より幅広い年齢層の読者を生み出す土壌を形成し、それがより優れた漫画家や作品を生み出すきっかけとなり、ひいては「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」などの作品に見られる「作品名の文章化」や、思い出したくない過去を自虐的に描く「中二病」系作品のような作風といったより細分化されたトレンドを生み出すのではないか―と私は考えるのである。



海外の漫画とアニメ
海外の漫画やアニメに明るくないため説得力に欠けるかもしれないが、本屋に並ぶ日本の漫画と比べてみても、海外の作品はやはり単調で、作風や画風に幅や彩りが見られないように感じる。日本のアニメ史においては、「機動戦士ガンダム」による「正義対正義(悪の不在)」の導入によってストーリー性が大きく変化したとされているが、一方で海外の漫画やアニメ、とりわけアメリカの作品は昔から今も変わらず「絶対正義対絶対悪」の勧善懲悪を貫いたままであり、その例は「スーパーマン」、「X-MEN」、「バットマン」、「ヤング・ジャスティス」などに見られる。これらの作品は原作者による執筆が終了した後も焼き直しの形で別の作家が筆を執り、新たな設定や展開を加えられ掲載が続けられている。その絵柄も、昔からのいわゆる「アメコミ」的なままである。勧善懲悪というわかりやすいストーリーが海外作品の主軸となっているため、子どもをメインターゲットに制作されることが多い。そのため、大人でも漫画を読むことが一般的な日本と異なり、海外では今でも「子どもの娯楽」としての認識が大きく、漫画やアニメを好む大人たちは「ギーク(オタク)」として偏見の目で見られるようである。これは私自身が現在滞在中のオーストラリアで出会った外国人から直接聞いたことでもある。


ヤング・ジャスティス

日本のアニメが海外に輸出される際にも、「子どもに悪影響を及ぼすことのないように」との配慮で表現が規制されることがある。たとえば「ONE PIECE」のサンジは海外ではタバコではなくキャンディーをくわえている。「セーラームーン」の一部は性的表現、同性愛表現とみなされカットされている。

オーストラリア人の友人は興味深い点を指摘してくれた。それは「商業的に成功したアニメであったり、その結果有名になった作品であれば、大人が見ても他人から偏見の眼差しで見られることはない」というものだ。多くの人々の共通認識として、「漫画やアニメは子ども向けであり、大人になってもそれらを楽しんでいる人々はオタクだ」というものがあるが、一方で「商業的に成功したものは人目を憚ることなく楽しめる空気がある」という。その典型的な例がディズニーだという。日本でも、他の一般作品はいわゆる「オタクアニメ」として忌避するが、ディズニー映画には寛容な態度を示す・・・という人は程度の差はあれど存在するだろう。ディズニー以外の作品の例を挙げるなら、「ザ・シンプソンズ」、「キング・オブ・ザ・ヒル」などがあるが、これらの作品をはじめとする米国作品の多くに家族愛といった普遍的メッセージが見られる。このことからも、特にアメリカを中心とする海外の漫画・アニメ産業全体が子どもを主な視聴者として定めていると推察できるのではないだろうか。


厳密には人形アニメに分類されるロシアの「チェブラーシカ」。国によって重視するメッセージは異なってくるだろう。余談だが、ロシアの多くの作品は大人でも怖くなるほどの陰鬱な雰囲気で満ちていて不思議だ。

もちろん、海外にも大人向けとされるアニメはある。上で挙げた作品以外には「サウスパーク」「ファミリーガイ」「フューチュラマ」などがある。日本のアニメと比較して目立つ違いは、海外の大人向けのアニメはブラックユーモアや下品な内容を扱うことが多いという点だ。漫画については定かではないが、同様に大人向けのものは存在するだろう。


インターネットとアニメ
「漫画とは年齢を問わず楽しめる娯楽であり、そこには数限りない作品が存在する」という価値観が当たり前の日本人にとって、日本の漫画やアニメがいかに深みのある優れた文化であるかを客観的に認識するのは難しい。最近になりやっと政府も「クールジャパン」なる語を標榜して海外へのコンテンツ発信に力を入れようと本腰を入れる素振りを見せているが、それ以前から海外の人々はインターネットを通じて日本の漫画やアニメを楽しんできた。インターネット上に違法にアップロードされたアニメには日本語のセリフを理解できるファンが自ら彼らの母国語で字幕をつけ、その他大勢のファンがそれを共有し動画サイト上で視聴している。そして、それぞれの作品について掲示板で感想を熱く語り合っている。

インターネットを通じて高まる日本のアニメ人気はやがて現象的なものとなり、コスプレといった活動に発展する。時折、日本のメディアでも海外の漫画ファンやアニメファンの様子が取り上げられることがあるが、実際に彼らのコスプレを生で目にするとその熱狂ぶりに驚かされる。オーストラリアでは昨年で10周年を迎えた映画・漫画・アニメのファンイベント「スーパーノヴァ」が毎年開催されるが、会場には気合の入ったコスプレに身を包んだ漫画オタク・アニメオタクのオーストラリア人が多く集まる。彼らのコスプレを生で見た私はそのレベルの高さに本当に驚かされた。初音ミクや鏡音リンのコスプレをしているものまでいて、ここまで認知されているのかと衝撃を受けると同時に、日本に住んでいた頃に読んだ外国人の日本産漫画・アニメへの熱狂ぶりを伝える記事は真実だったのだと知るのであった。


漫画とアニメのポテンシャル
こうした状況をインターネットや現実で目撃すると、漫画やアニメは大変大きな潜在力を秘めた文化だと実感させられる。良き漫画や良きアニメは、インターネットを通じて世代を超え再度消費されるに留まらず、時にその枠を超えた波及効果をもたらし、新たなブームを巻き起こす。また作品に流れる思想や表現方法は新しい世代と作品に影響を与える。
イタリアでのファンの間でのマジンガーZ人気は宗教的だという

たとえば、昨年の10月に放送を開始し、二日前に最終話の放送を終えたばかりのTVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」でエンディング曲として起用されたイエスの「ROUNDABOUT」は1971年に発表されたアルバムの収録曲だが、このアニメの放送をきっかけにブームが再燃し、ダウンロード販売サイトでは軒並み売上急増YouTubeでの再生回数も急上昇している。




イエス「Roundabout」、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』効果で売上が20倍に! http://alfalfalfa.com/archives/6265863.html


こうした現象を目の当たりにする瞬間はとても興奮する。

映画「マトリックス」も良い例だ。この映画は過去の多くの映画作品から着想を得たとされているが、「攻殻機動隊」や「AKIRA」の影響も受けていることで有名だ。


漫画やアニメの違法アップロードは許されるものではないが、インターネットの力が無ければここまでの波及効果も起きないだろう。映画や音楽、漫画やアニメといった芸術は娯楽としての側面の強い文化だが、これらが外交戦略上重要であるという指摘も存在する。インターネットを通じて日本の漫画やアニメが視聴でき、それについて共に語り合う仲間が大勢いるということは、単に彼らにとって好ましいだけでなく、我々にも利益をもたらす現象であり、日本のメディアが伝える「他所の国で日本の漫画・アニメが持て囃されている」という事実だけで終わるものではないのである。
こうしたことをぼんやりと考えながら、オーストラリアで海外の動画サイトを利用して英語字幕付きの日本のアニメを鑑賞していると、「日本では当たり前に見られるアニメ」が途端に崇高なものに見え、日本人にとっては一娯楽であるこの文化がここまでの熱狂を生み出していることに興奮を覚える。終いには日本人に生まれたことに誇りさえ抱いてしまうのである。そして何より、プロ・アマ問わず日本のこのコンテンツを外国人が理解可能な言語に訳している字幕翻訳者は大変素晴らしく、誉れのある存在だと認識させられ敬服してしまう。彼らこそ、日本の予防外交に最も貢献している存在ではないだろうか。


日本を離れなければ経験として知ることはなかっただろう。日本の漫画・アニメはやはり最強だった。

2013/03/29

香港人&台湾人の暇つぶし


韓国人の花札を目撃したのはつい数日前なのだが、実はそれよりもっと前、今のホステルに来て二日目ぐらいに目撃したのが彼らの麻雀だったwまさかオーストラリアで麻雀牌を見るなんて・・・と最初はビビった。花札以上にビビったwていうかお前らどこで一式ゲットしたんだよ・・・まさかわざわざ自分の国から持ってきたのか?と聞いてみたらパースで$80(¥8,000ぐらい)で購入したそう。結構な金額だと思うんだけどw

麻雀を知ったのは小学校高学年の頃に読み始めた「勝負師伝説 哲也」だったのだが、この漫画のせいで麻雀はイカサマをするのが普通のゲームだと長いこと思っていたwこの漫画を読んで知っている程度だから、役や牌の名前その他(ポン・チー・カン)を単語として知っているだけで、具体的なルールは全く知らない。楽しいゲームなのは間違いないはずだから、ルールを覚えて挑戦してみたいのだけど・・・。麻雀をやる友人は周囲に全くいなかったために覚えるきっかけが全く無かった。おかげで韓国式花札の時と違って、彼らの麻雀を眺めていても日本のルールとどんな違いがあるのか皆目見当がつかない。うーん残念。本気出せばネットゲームで勉強できそうではあるけどw

囲碁・将棋もそうだけど、頭を使う卓上ゲームは判断能力を磨く良い訓練になるだろうな~。大局観と呼ばれるこの直感的思考能力は人生に役立つといっても過言ではないはず。


楽しそうだなーいいなー。ルールを覚えていつか鷲巣麻雀をやるのが俺の夢の一つw

そう言えば、沖縄にはツバメ返しができる凄腕の雀士がいるので紹介しておく。

韓国人の暇つぶし

ある日の夜、韓国人たちがある遊びに興じているのを発見した。それを見た俺は驚いた!
なんと花札をしていたのである。「韓国人も花札を知ってるのか!」と尋ねると、これまたびっくり、「花札は日本のゲームで、韓国に輸入されてるんだよ」とのこと。知らなかった・・・!!話を聞いてみると、韓国の若者はほとんどルールを知っていて、誰でもできるらしい。花札が出来る若者は日本にはあまりいないんじゃないか・・・?
俺が花札を覚えたのも、子どもの頃に毎年正月に母親にいやいや引きずられるようにしてやんばる(沖縄中北部)にある瀬底島の祖母の家を訪ねたせいだった。島内には個人経営の売店が2店舗と小学校があるだけで、娯楽は何もなく、更にその島は本島と橋で繋がった集落であるため、子どもの頃の俺にはまさに監獄のような場所で、死ぬほど退屈であった。

退屈なのは子どもだけではなかったようで、帰省中の親族みんなで花札をやるのが習慣のようになっていた。徹マンならぬ徹ハナで早朝までやることもしょっちゅうで、祖父の通夜の際にも棺の横で花札をやっていたのをよく覚えている。
最初は俺も見ていただけだったのだが、門前の小僧習わぬ経を読む、で自然と覚えてしまった。といっても2人用のこいこいよりもっと単純な花合わせの亜流の用なルールを一回4人でやっていた。

韓国人たちの花札のやり方を観察してみると、ルールはこいこいに似た「ゴーストップ(Go Stop)」というルールが主流のようで、上がりに必要な役を揃えた際にこいこいするかしないかをGoまたはStopで宣言する。ただし、ジョーカーやボーナスカードと呼ばれる特殊なカードがあったり、自分の札と場の札を合わせた後で山札から同じ種類の札を引いてしまった場合は自分の札として獲得することはできず、場に3枚1組として置かなければならない、などよりゲーム性の高いルールになっている印象。

韓国の花札は短札の「みよしの」「あかよろし」がハングルになっていたり、20点札全てに「光」の文字が入っていたりと、日本の花札と微妙に絵柄が違っていて面白い。

韓国式花札を覚えて彼らと勝負してみたいと思ったので軽く教えてもらった。ルールはそこまで難しくはないものの、役作りの戦略の立て方が違っているため慣れるのに時間がかかりそうだ。「iPhoneのアプリがあるからそれで勉強しなよ!」と教えてもらったので、目下勉強中である笑


こういう些細な発見と驚きも旅の醍醐味なのかもしれんな。こんな形の交流も面白い。

2013/02/24

パースの写真いろいろ

先月23日にブリスベンからパースに移動した。飛行機で5時間もかけてオーストラリアの西端に移動したわけだけど、予想していた以上に都会で驚いた。あと、ブリスベンにいた時は色んな人からパースは物価が高いと言われたのだけど、想像してたよりは高くなかったな~。ほとんど外食してないからそう感じるのかもしれないけど。

州が変わると色々変化があるのね、ということで個人的に面白いと思ったパースの写真を貼っていきます。

パースに降り立っていきなり驚かされたのがこのバス。こんな風に運転席が完全に保護されたバスはブリスベンでは一度も見たことがなかった。けど全部のバスがこんな風に完全防御されているわけではなく、市街地で走っているバスにもフェンス付きのものとそうでないものがあった。テロ対策にしてはテキトーな気が。よくわからんw

夢がひろがりんぐなマネーストリート。金持ちになりてー。

タカヒロが「ハリーポッターみたいな道」と小学生並みの感想を漏らしたオシャレな通路。両サイドには葉巻屋さんやチョコレート屋さんなど一流感溢れるお店がずらっと軒を連ねていた。パース市街はまぁブリスベンと変わらない町並みなのだけど、アーケードに面したこの通路だけはイギリスちっくで、「トンネルを抜けるとそこは・・・」の次に雪国ではなく、千と千尋の神隠しを頭に浮かべた俺も小学生並みの感覚しか持ちあわせていなかったのであった。


ブリスベンはカフェやファーストフードがいたるところにあり、その多くが無線環境を整えているため街に出ればネットの閲覧には困らなかったのだが、パースはそういった場所が限られていて苦労した。幸いにも図書館がWiFiを提供していたため利用しようとしたのだが、そのスピードの遅さに唖然。これって無いほうがマシなんじゃないか・・・?1ページ読み込むのに1日かかるレベルw 街中のカフェなどの無線はここまで遅いことはないのだろうけど、ブリスベンよりはタダで使える無線環境(野良WiFi)が少ない印象。探すのに苦労した。


ちなみにその図書館のロッカー利用に関する看板↓
荷物が安全な場所に保管されているという安心感―プライスレス。言うことはキザ。

ブリスベンの注意書き
パースの注意書き
ブリスベンの表示と微妙に違うパースの歩行者用信号機の注意書き。緑の男がパースでは右向きになっているwあと気のせいか細身になってる・・・。ちなみにどこに行っても赤点滅時は超サイヤ人化するようだ。

やっつけ仕事感満載のエレベーター。表示が壁に埋まってます。これがオージークオリティーなのか。

あと変なダンサーもいました。
このヤル気の中途半端さにはアボリジニも反応せざるを得ない。

2月10日は旧正月ということでパースでもお祭りが開かれていた。美味しそうな屋台やゲームが沢山あるのだが・・・これは誰がやるんだ?wしかも一秒ごとに全てのピエロが同時に左右に首振りします。子どものトラウマになること必至。

それから、オーストラリアに来てからというもの観光らしい観光は全くしてこなかったのだけど、この前はパースから電車で40分ほどのフリーマントルという港町に行ってきた。お洒落で落ち着いた町だったし、また行きたいわん。以下フリーマントルの写真。

インド洋だよインド洋!ちょっと感動wしかし海は俺的には普通だった。


お洒落。メルボルンもこんな感じなのかな~と想像。

mixiの昔のログインページみたいな高台に来たので必死にこのアングルで撮影。

この日の同行者たち。たかひろの語学学校のクラスメイト。俺様完全にアウェーだったのでバンキシャも真っ青のローアングルからいやらしく撮影。


少しずつ日焼けしてきた。




とりあえずパースで面白いと思ったのはこれぐらいかな。




ていうか俺写真撮るのうまくないか!?w

2013/02/16

9時間後・・・

青空の下、この場所で日焼け止め無しで9時間働いたら・・・




首の後ろがこんなに焼けてしまった!オーストラリアの紫外線量は日本の7倍近くあるらしいのだが、襟ぐりの広い長袖しか持っていないためここだけ日焼けがひどいことに。

今度からは日焼け止め塗ろうかな~。さすがにこっちで一回も日焼け止めを使わないのはマズイか・・・。

2013/01/05

邂逅その3:国吉高宏


いつもと変わらない日常感満載だったここオーストラリアで年越しを迎えたわけだけど(明けましておめでとうございます)、年明け早々にミラクルとも思える再会をゴールドコーストで果たしてきた。彼の名は国吉高宏(くによしたかひろ)。金持ち一家のドラ息子として地元の仲間の間では有名な男で、小学校時代に頻繁に遊んでいたのだが、俺を含む地元仲間の多くが校区内の中学校に進学する中、彼は県内屈指の進学校として名高い沖縄尚学(中高一貫校)に進学しお互い別の道を歩んだことで、お互いに長いこと連絡を取っていなかったのであった。沖縄尚学は甲子園優勝を果たしたことのある高校だからご存知のないちゃーも多いはずだ。

牧歌的、アホアホで脳内お花畑な馬鹿笑いに満ちた小学校6年間を共に過ごしてきただけに(少なくとも俺の6年間はそうだったぞ)、一緒にガハハ笑いを共有してきたアイツが沖尚(おきしょう)に進学したという当時のニュースはまさに青天の霹靂といった感じで、「え、一緒にバカやってきたのにお前は沖尚・・・?俺取り残され、え・・・?」と軽いショックを覚えた同級生は俺だけじゃなかったはずだ。実際、沖尚に進学したのは学年でも2,3人で、その中の一人が彼だったとは他の友人たちも想像できなかったはずだ。俺も卒業後に知ったしね。

そういう事情があり、そして彼のズボラな性格もあり、小学校卒業後彼は同級生の誰一人とも連絡を取ることがなく、会うことも一切なかったそうだ。狭い沖縄で誰とも会わずに過ごすことなんてできるんですねえ・・・。彼は引越しもしてなかったのに。

そして時は流れ、俺は彼のその後を知ることのないまま、高校卒業後内地(千葉)へと旅立ち、大学生になり、社会人になり、会社をやめることになる。その間の何度かの帰郷でも地元の友人から彼の噂を聞くことは一ミリたりとも無かったのであった。その間12年である。

そんな現実世界の広さを一気に狭めたのが、誉れ高ければ悪名も名高いアノ超巨大SNS、そう、
F a c e b o o kである。
ワーホリでオーストラリアに渡航する直前、いや渡航した後だっただろうか、彼の名前が「知り合いかも?」の欄に出てくるではないか!リアルでの人間関係の延長でしかないFacebook上で現実の上っ面な関係の人まで友達にしてしまうと、その距離感のせいでお互いに変な気を遣い合ってめんどくさいことこの上ない。そのことを知っていたため、リアルで大した関係の無い人ばかり提案してくるこの機能は殆どいつもチラ見でスルーがJK(常識で考えて)だったのだが、この時ばかりは「この機能もたまにはやるではないか!」と賞賛しきりであった。そう言えば高校時代の恩師にもこの機能のおかげでFacebook上で再会できたような気が。早速メッセージを送り、まずはネットでの再会を果たした。
ここにヤツの名前が現れたのである

そしてここがまさにミラクルなのだが、なんと俺に遅れて2ヶ月後に同じワーホリで同じオーストラリアに行く予定だと彼が言うではないか!しかも俺が滞在するブリスベンから電車で気軽に行けるゴールドコーストに。なんという時の巡り合わせだろうか。まさに「僥倖っ・・・!僥倖っ・・・!!」状態である。いくつかのやりとりを経てオーストラリアでの再会の約束を交わし、俺は彼の渡豪を待っていた。
それにしても、オーストラリアに来てからというもの、奇縁とも思える出会いが多いように感じる。今のバイト先にも、うちなーんちゅの、しかも母校の那覇商業高校で一学年上だった先輩が働いているし、先日旅行で訪ねてきた家族連れのお客さんなんかは、よくよく尋ねてみると千葉の自宅のすぐ近くに住んでらっしゃる農家の方であった。本当に、人生どこで誰と出会うのかわからないものである。まさに邂逅である。

そんな運命的とも思える感覚を抱きながら、ついに12年の時を経て彼との再会を果たした。異国の地、オーストラリアで。昔からいつか会いたいとぼんやり思い続けてはいたが、まさかそれが異国の地で実現にすることになるとは夢にも思っていなかった。3ヶ月間のワーホリ生活で語学学校に通いながらサーフィンを覚えた彼は日に焼け、俺以上にこちらでの生活を漫喫しているようであった。12年の時を経ても彼の良い意味でバカっぽい、陽気な雰囲気が変わっていないことに再会と郷愁の喜びを感じ、また長い内地生活でいささかすれて皮肉屋な人間になったであろうこの俺にあの頃と同じように接してくれたことに安堵した。


再会の瞬間。待ち合わせ場所に高宏が現れ、100mの距離をお互いに歩み寄っていく。まだ顔は見えない。カメラを向けるとポーズを取る高宏。相変わらずのアホアホっぷりが確認できた瞬間。

地元仲間の誰もが知らなかった彼の12年間の過去を聞いてみると、中学・高校時代にはサッカーとバンドに明け暮れたり、反抗期で何度も家出を重ね元ボクサーの父親にボコられたり(沖尚の生徒なのにw)、高校卒業後は琉球大学(県内唯一の国立大である)に進学したり、そんな父親の足跡をたどるようにプロボクサーになったりと、リア充なのか何なのかわからない濃い人生を送っていたようだw反抗期の話なんかはちょっとうらやましかったなぁ。話を聞くに、彼の母親は大変な思いをしただろうけど、俺はチキンでそんなことできなかったし。反抗期らしい反抗期が無かったから今の俺は性格がひねくれてるんだろうな・・・と考えさせられたり。とにかく彼は昔のイメージと変わらない12年間を送っていたようだ(笑)しかしそんな性格が災いしたのか、再会の前日(大晦日である)に彼はサーフィンで5針を縫う怪我を脚に負っていた。バカやな・・・w

 
そして、元々その予定は無かったのだけど、折角ゴールドコーストに来たのだから、ということで海で泳ぐことに。脚の包帯をさすりながら涙目で海を眺める彼を尻目に一人ゴールドコーストの海を初めて漫喫したのだけど、とても楽しかった。こっちに来てからは勉強に集中しようと外で遊ぶことは控えるようにしていたのだけど、たまにはいいものだなと感じた。特に12月は色々あって気分の滅入る日が多かっただけに、最高の気分転換になった。家に閉じこもって自分の世界に浸りすぎていたのかもしれない。浜辺に寝転んで身体を日に焼きつつ空を見上げながら自分自身を客観的に見つめてみると、旧友との再会を果たし、世界有数のビーチに寝転んでいる今の自分はこれまでにない自由を謳歌しているのだという事実に気付かされた。二年後の自分がこの地でこんなことをしているなんてことは四ッ谷で働いていた当時の自分には全く想像できなかっただろう。その時には得られなかった最高の自由を今手にしていて、だからこそ意義あるものにしなければならないというとても重要なことを再認識させられた。
1年目のワーホリ期間ももう折り返し地点。年明けと同時にこのことに気づけて良かった。たまには気分をリフレッシュさせるのも悪くないな。

12年越しの再会はとても楽しかった。彼とは今後行動を共にしようかと話をしている。再度気合を入れなおし、ワーホリ1年目の後半戦に臨みたい。

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