このエントリーをはてなブックマークに追加

2013/04/07

日本の漫画・アニメはやはり最強だったの巻

「立ち読み」という文化
オーストラリアに来て4ヶ月目ぐらいのことだっただろうか。日本ではごく当たり前だったある習慣が失われていることに気付いた。それに気付いたのはふらっと本屋に立ち寄った時のことだ。そこで目にしたのは様々な英語小説と一緒に並ぶ日本の漫画の数々だった。英語訳された日本の漫画に真新しさを感じながら気付かされたのは、「そう言えばこっちに来て一度も漫画の立ち読みをしたことが無かったな・・・」ということである。偶然本屋に寄るまで気づかないほど、立ち読みという習慣はいつの間にか無くなっていたのであった。日本で立ち読みをする絶好のスポットと言えばコンビニだが、日本のコンビニと違い、オーストラリアのコンビニには漫画の置かれていないことが当たり前で、そのコンビニもそもそも日本のように気軽に立ち寄れるほどあちらこちらに点在しているわけではなく、市街にでかけなければ目にすることはあまりない。「漫画を読むために本屋に買いに行く」という明確な理由がない限り、漫画に触れる機会が一切無いのである。図書館にも漫画はあるが、新作があるわけではない。これはオーストラリア以外の国でもそうなのかもしれないが、「漫画の立ち読み」という習慣、あるいは文化が存在していないようにすら感じる。本屋では中身が確認できるようになっているため、漫画以外のものも含め確認程度に読むことはできるが、漫画雑誌や単行本を丸々タダで読むような日本的な漫画の立ち読みカルチャーは存在しない。日本人は「コンビニに寄ったついで」「待ち合わせの時間つぶしに」といった「ついで」の機会を通して漫画に触れる時間が圧倒的に多いだろう。
少年漫画だけでなく少女漫画も多く見られた
日本の文庫本と比べるとかなり大きい






手塚治虫は海外でも漫画の神と認識されているようだ







日本の漫画産業の売上低下の原因について語られる際に、コンビニ利用客の立ち読みがやり玉にあげられることが多々ある。立ち読みは間違いなく出版売上の低下の要因の一つだが、立ち読みを一つの文化として捉えた場合、この文化が与える漫画産業あるいはアニメ産業への影響は大きいのではないだろうか。つまり、消費者が立ち読みを通じて日常的に漫画に触れることで、彼らの目が肥え、やがて消費者全体の漫画に対する審美眼が磨かれ、レベルが底上げされるということである。結果として、より幅広い年齢層の読者を生み出す土壌を形成し、それがより優れた漫画家や作品を生み出すきっかけとなり、ひいては「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」などの作品に見られる「作品名の文章化」や、思い出したくない過去を自虐的に描く「中二病」系作品のような作風といったより細分化されたトレンドを生み出すのではないか―と私は考えるのである。



海外の漫画とアニメ
海外の漫画やアニメに明るくないため説得力に欠けるかもしれないが、本屋に並ぶ日本の漫画と比べてみても、海外の作品はやはり単調で、作風や画風に幅や彩りが見られないように感じる。日本のアニメ史においては、「機動戦士ガンダム」による「正義対正義(悪の不在)」の導入によってストーリー性が大きく変化したとされているが、一方で海外の漫画やアニメ、とりわけアメリカの作品は昔から今も変わらず「絶対正義対絶対悪」の勧善懲悪を貫いたままであり、その例は「スーパーマン」、「X-MEN」、「バットマン」、「ヤング・ジャスティス」などに見られる。これらの作品は原作者による執筆が終了した後も焼き直しの形で別の作家が筆を執り、新たな設定や展開を加えられ掲載が続けられている。その絵柄も、昔からのいわゆる「アメコミ」的なままである。勧善懲悪というわかりやすいストーリーが海外作品の主軸となっているため、子どもをメインターゲットに制作されることが多い。そのため、大人でも漫画を読むことが一般的な日本と異なり、海外では今でも「子どもの娯楽」としての認識が大きく、漫画やアニメを好む大人たちは「ギーク(オタク)」として偏見の目で見られるようである。これは私自身が現在滞在中のオーストラリアで出会った外国人から直接聞いたことでもある。


ヤング・ジャスティス

日本のアニメが海外に輸出される際にも、「子どもに悪影響を及ぼすことのないように」との配慮で表現が規制されることがある。たとえば「ONE PIECE」のサンジは海外ではタバコではなくキャンディーをくわえている。「セーラームーン」の一部は性的表現、同性愛表現とみなされカットされている。

オーストラリア人の友人は興味深い点を指摘してくれた。それは「商業的に成功したアニメであったり、その結果有名になった作品であれば、大人が見ても他人から偏見の眼差しで見られることはない」というものだ。多くの人々の共通認識として、「漫画やアニメは子ども向けであり、大人になってもそれらを楽しんでいる人々はオタクだ」というものがあるが、一方で「商業的に成功したものは人目を憚ることなく楽しめる空気がある」という。その典型的な例がディズニーだという。日本でも、他の一般作品はいわゆる「オタクアニメ」として忌避するが、ディズニー映画には寛容な態度を示す・・・という人は程度の差はあれど存在するだろう。ディズニー以外の作品の例を挙げるなら、「ザ・シンプソンズ」、「キング・オブ・ザ・ヒル」などがあるが、これらの作品をはじめとする米国作品の多くに家族愛といった普遍的メッセージが見られる。このことからも、特にアメリカを中心とする海外の漫画・アニメ産業全体が子どもを主な視聴者として定めていると推察できるのではないだろうか。


厳密には人形アニメに分類されるロシアの「チェブラーシカ」。国によって重視するメッセージは異なってくるだろう。余談だが、ロシアの多くの作品は大人でも怖くなるほどの陰鬱な雰囲気で満ちていて不思議だ。

もちろん、海外にも大人向けとされるアニメはある。上で挙げた作品以外には「サウスパーク」「ファミリーガイ」「フューチュラマ」などがある。日本のアニメと比較して目立つ違いは、海外の大人向けのアニメはブラックユーモアや下品な内容を扱うことが多いという点だ。漫画については定かではないが、同様に大人向けのものは存在するだろう。


インターネットとアニメ
「漫画とは年齢を問わず楽しめる娯楽であり、そこには数限りない作品が存在する」という価値観が当たり前の日本人にとって、日本の漫画やアニメがいかに深みのある優れた文化であるかを客観的に認識するのは難しい。最近になりやっと政府も「クールジャパン」なる語を標榜して海外へのコンテンツ発信に力を入れようと本腰を入れる素振りを見せているが、それ以前から海外の人々はインターネットを通じて日本の漫画やアニメを楽しんできた。インターネット上に違法にアップロードされたアニメには日本語のセリフを理解できるファンが自ら彼らの母国語で字幕をつけ、その他大勢のファンがそれを共有し動画サイト上で視聴している。そして、それぞれの作品について掲示板で感想を熱く語り合っている。

インターネットを通じて高まる日本のアニメ人気はやがて現象的なものとなり、コスプレといった活動に発展する。時折、日本のメディアでも海外の漫画ファンやアニメファンの様子が取り上げられることがあるが、実際に彼らのコスプレを生で目にするとその熱狂ぶりに驚かされる。オーストラリアでは昨年で10周年を迎えた映画・漫画・アニメのファンイベント「スーパーノヴァ」が毎年開催されるが、会場には気合の入ったコスプレに身を包んだ漫画オタク・アニメオタクのオーストラリア人が多く集まる。彼らのコスプレを生で見た私はそのレベルの高さに本当に驚かされた。初音ミクや鏡音リンのコスプレをしているものまでいて、ここまで認知されているのかと衝撃を受けると同時に、日本に住んでいた頃に読んだ外国人の日本産漫画・アニメへの熱狂ぶりを伝える記事は真実だったのだと知るのであった。


漫画とアニメのポテンシャル
こうした状況をインターネットや現実で目撃すると、漫画やアニメは大変大きな潜在力を秘めた文化だと実感させられる。良き漫画や良きアニメは、インターネットを通じて世代を超え再度消費されるに留まらず、時にその枠を超えた波及効果をもたらし、新たなブームを巻き起こす。また作品に流れる思想や表現方法は新しい世代と作品に影響を与える。
イタリアでのファンの間でのマジンガーZ人気は宗教的だという

たとえば、昨年の10月に放送を開始し、二日前に最終話の放送を終えたばかりのTVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」でエンディング曲として起用されたイエスの「ROUNDABOUT」は1971年に発表されたアルバムの収録曲だが、このアニメの放送をきっかけにブームが再燃し、ダウンロード販売サイトでは軒並み売上急増YouTubeでの再生回数も急上昇している。




イエス「Roundabout」、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』効果で売上が20倍に! http://alfalfalfa.com/archives/6265863.html


こうした現象を目の当たりにする瞬間はとても興奮する。

映画「マトリックス」も良い例だ。この映画は過去の多くの映画作品から着想を得たとされているが、「攻殻機動隊」や「AKIRA」の影響も受けていることで有名だ。


漫画やアニメの違法アップロードは許されるものではないが、インターネットの力が無ければここまでの波及効果も起きないだろう。映画や音楽、漫画やアニメといった芸術は娯楽としての側面の強い文化だが、これらが外交戦略上重要であるという指摘も存在する。インターネットを通じて日本の漫画やアニメが視聴でき、それについて共に語り合う仲間が大勢いるということは、単に彼らにとって好ましいだけでなく、我々にも利益をもたらす現象であり、日本のメディアが伝える「他所の国で日本の漫画・アニメが持て囃されている」という事実だけで終わるものではないのである。
こうしたことをぼんやりと考えながら、オーストラリアで海外の動画サイトを利用して英語字幕付きの日本のアニメを鑑賞していると、「日本では当たり前に見られるアニメ」が途端に崇高なものに見え、日本人にとっては一娯楽であるこの文化がここまでの熱狂を生み出していることに興奮を覚える。終いには日本人に生まれたことに誇りさえ抱いてしまうのである。そして何より、プロ・アマ問わず日本のこのコンテンツを外国人が理解可能な言語に訳している字幕翻訳者は大変素晴らしく、誉れのある存在だと認識させられ敬服してしまう。彼らこそ、日本の予防外交に最も貢献している存在ではないだろうか。


日本を離れなければ経験として知ることはなかっただろう。日本の漫画・アニメはやはり最強だった。

2013/03/29

香港人&台湾人の暇つぶし


韓国人の花札を目撃したのはつい数日前なのだが、実はそれよりもっと前、今のホステルに来て二日目ぐらいに目撃したのが彼らの麻雀だったwまさかオーストラリアで麻雀牌を見るなんて・・・と最初はビビった。花札以上にビビったwていうかお前らどこで一式ゲットしたんだよ・・・まさかわざわざ自分の国から持ってきたのか?と聞いてみたらパースで$80(¥8,000ぐらい)で購入したそう。結構な金額だと思うんだけどw

麻雀を知ったのは小学校高学年の頃に読み始めた「勝負師伝説 哲也」だったのだが、この漫画のせいで麻雀はイカサマをするのが普通のゲームだと長いこと思っていたwこの漫画を読んで知っている程度だから、役や牌の名前その他(ポン・チー・カン)を単語として知っているだけで、具体的なルールは全く知らない。楽しいゲームなのは間違いないはずだから、ルールを覚えて挑戦してみたいのだけど・・・。麻雀をやる友人は周囲に全くいなかったために覚えるきっかけが全く無かった。おかげで韓国式花札の時と違って、彼らの麻雀を眺めていても日本のルールとどんな違いがあるのか皆目見当がつかない。うーん残念。本気出せばネットゲームで勉強できそうではあるけどw

囲碁・将棋もそうだけど、頭を使う卓上ゲームは判断能力を磨く良い訓練になるだろうな~。大局観と呼ばれるこの直感的思考能力は人生に役立つといっても過言ではないはず。


楽しそうだなーいいなー。ルールを覚えていつか鷲巣麻雀をやるのが俺の夢の一つw

そう言えば、沖縄にはツバメ返しができる凄腕の雀士がいるので紹介しておく。

韓国人の暇つぶし

ある日の夜、韓国人たちがある遊びに興じているのを発見した。それを見た俺は驚いた!
なんと花札をしていたのである。「韓国人も花札を知ってるのか!」と尋ねると、これまたびっくり、「花札は日本のゲームで、韓国に輸入されてるんだよ」とのこと。知らなかった・・・!!話を聞いてみると、韓国の若者はほとんどルールを知っていて、誰でもできるらしい。花札が出来る若者は日本にはあまりいないんじゃないか・・・?
俺が花札を覚えたのも、子どもの頃に毎年正月に母親にいやいや引きずられるようにしてやんばる(沖縄中北部)にある瀬底島の祖母の家を訪ねたせいだった。島内には個人経営の売店が2店舗と小学校があるだけで、娯楽は何もなく、更にその島は本島と橋で繋がった集落であるため、子どもの頃の俺にはまさに監獄のような場所で、死ぬほど退屈であった。

退屈なのは子どもだけではなかったようで、帰省中の親族みんなで花札をやるのが習慣のようになっていた。徹マンならぬ徹ハナで早朝までやることもしょっちゅうで、祖父の通夜の際にも棺の横で花札をやっていたのをよく覚えている。
最初は俺も見ていただけだったのだが、門前の小僧習わぬ経を読む、で自然と覚えてしまった。といっても2人用のこいこいよりもっと単純な花合わせの亜流の用なルールを一回4人でやっていた。

韓国人たちの花札のやり方を観察してみると、ルールはこいこいに似た「ゴーストップ(Go Stop)」というルールが主流のようで、上がりに必要な役を揃えた際にこいこいするかしないかをGoまたはStopで宣言する。ただし、ジョーカーやボーナスカードと呼ばれる特殊なカードがあったり、自分の札と場の札を合わせた後で山札から同じ種類の札を引いてしまった場合は自分の札として獲得することはできず、場に3枚1組として置かなければならない、などよりゲーム性の高いルールになっている印象。

韓国の花札は短札の「みよしの」「あかよろし」がハングルになっていたり、20点札全てに「光」の文字が入っていたりと、日本の花札と微妙に絵柄が違っていて面白い。

韓国式花札を覚えて彼らと勝負してみたいと思ったので軽く教えてもらった。ルールはそこまで難しくはないものの、役作りの戦略の立て方が違っているため慣れるのに時間がかかりそうだ。「iPhoneのアプリがあるからそれで勉強しなよ!」と教えてもらったので、目下勉強中である笑


こういう些細な発見と驚きも旅の醍醐味なのかもしれんな。こんな形の交流も面白い。

2013/02/24

パースの写真いろいろ

先月23日にブリスベンからパースに移動した。飛行機で5時間もかけてオーストラリアの西端に移動したわけだけど、予想していた以上に都会で驚いた。あと、ブリスベンにいた時は色んな人からパースは物価が高いと言われたのだけど、想像してたよりは高くなかったな~。ほとんど外食してないからそう感じるのかもしれないけど。

州が変わると色々変化があるのね、ということで個人的に面白いと思ったパースの写真を貼っていきます。

パースに降り立っていきなり驚かされたのがこのバス。こんな風に運転席が完全に保護されたバスはブリスベンでは一度も見たことがなかった。けど全部のバスがこんな風に完全防御されているわけではなく、市街地で走っているバスにもフェンス付きのものとそうでないものがあった。テロ対策にしてはテキトーな気が。よくわからんw

夢がひろがりんぐなマネーストリート。金持ちになりてー。

タカヒロが「ハリーポッターみたいな道」と小学生並みの感想を漏らしたオシャレな通路。両サイドには葉巻屋さんやチョコレート屋さんなど一流感溢れるお店がずらっと軒を連ねていた。パース市街はまぁブリスベンと変わらない町並みなのだけど、アーケードに面したこの通路だけはイギリスちっくで、「トンネルを抜けるとそこは・・・」の次に雪国ではなく、千と千尋の神隠しを頭に浮かべた俺も小学生並みの感覚しか持ちあわせていなかったのであった。


ブリスベンはカフェやファーストフードがいたるところにあり、その多くが無線環境を整えているため街に出ればネットの閲覧には困らなかったのだが、パースはそういった場所が限られていて苦労した。幸いにも図書館がWiFiを提供していたため利用しようとしたのだが、そのスピードの遅さに唖然。これって無いほうがマシなんじゃないか・・・?1ページ読み込むのに1日かかるレベルw 街中のカフェなどの無線はここまで遅いことはないのだろうけど、ブリスベンよりはタダで使える無線環境(野良WiFi)が少ない印象。探すのに苦労した。


ちなみにその図書館のロッカー利用に関する看板↓
荷物が安全な場所に保管されているという安心感―プライスレス。言うことはキザ。

ブリスベンの注意書き
パースの注意書き
ブリスベンの表示と微妙に違うパースの歩行者用信号機の注意書き。緑の男がパースでは右向きになっているwあと気のせいか細身になってる・・・。ちなみにどこに行っても赤点滅時は超サイヤ人化するようだ。

やっつけ仕事感満載のエレベーター。表示が壁に埋まってます。これがオージークオリティーなのか。

あと変なダンサーもいました。
このヤル気の中途半端さにはアボリジニも反応せざるを得ない。

2月10日は旧正月ということでパースでもお祭りが開かれていた。美味しそうな屋台やゲームが沢山あるのだが・・・これは誰がやるんだ?wしかも一秒ごとに全てのピエロが同時に左右に首振りします。子どものトラウマになること必至。

それから、オーストラリアに来てからというもの観光らしい観光は全くしてこなかったのだけど、この前はパースから電車で40分ほどのフリーマントルという港町に行ってきた。お洒落で落ち着いた町だったし、また行きたいわん。以下フリーマントルの写真。

インド洋だよインド洋!ちょっと感動wしかし海は俺的には普通だった。


お洒落。メルボルンもこんな感じなのかな~と想像。

mixiの昔のログインページみたいな高台に来たので必死にこのアングルで撮影。

この日の同行者たち。たかひろの語学学校のクラスメイト。俺様完全にアウェーだったのでバンキシャも真っ青のローアングルからいやらしく撮影。


少しずつ日焼けしてきた。




とりあえずパースで面白いと思ったのはこれぐらいかな。




ていうか俺写真撮るのうまくないか!?w

2013/02/16

9時間後・・・

青空の下、この場所で日焼け止め無しで9時間働いたら・・・




首の後ろがこんなに焼けてしまった!オーストラリアの紫外線量は日本の7倍近くあるらしいのだが、襟ぐりの広い長袖しか持っていないためここだけ日焼けがひどいことに。

今度からは日焼け止め塗ろうかな~。さすがにこっちで一回も日焼け止めを使わないのはマズイか・・・。

2013/01/05

邂逅その3:国吉高宏


いつもと変わらない日常感満載だったここオーストラリアで年越しを迎えたわけだけど(明けましておめでとうございます)、年明け早々にミラクルとも思える再会をゴールドコーストで果たしてきた。彼の名は国吉高宏(くによしたかひろ)。金持ち一家のドラ息子として地元の仲間の間では有名な男で、小学校時代に頻繁に遊んでいたのだが、俺を含む地元仲間の多くが校区内の中学校に進学する中、彼は県内屈指の進学校として名高い沖縄尚学(中高一貫校)に進学しお互い別の道を歩んだことで、お互いに長いこと連絡を取っていなかったのであった。沖縄尚学は甲子園優勝を果たしたことのある高校だからご存知のないちゃーも多いはずだ。

牧歌的、アホアホで脳内お花畑な馬鹿笑いに満ちた小学校6年間を共に過ごしてきただけに(少なくとも俺の6年間はそうだったぞ)、一緒にガハハ笑いを共有してきたアイツが沖尚(おきしょう)に進学したという当時のニュースはまさに青天の霹靂といった感じで、「え、一緒にバカやってきたのにお前は沖尚・・・?俺取り残され、え・・・?」と軽いショックを覚えた同級生は俺だけじゃなかったはずだ。実際、沖尚に進学したのは学年でも2,3人で、その中の一人が彼だったとは他の友人たちも想像できなかったはずだ。俺も卒業後に知ったしね。

そういう事情があり、そして彼のズボラな性格もあり、小学校卒業後彼は同級生の誰一人とも連絡を取ることがなく、会うことも一切なかったそうだ。狭い沖縄で誰とも会わずに過ごすことなんてできるんですねえ・・・。彼は引越しもしてなかったのに。

そして時は流れ、俺は彼のその後を知ることのないまま、高校卒業後内地(千葉)へと旅立ち、大学生になり、社会人になり、会社をやめることになる。その間の何度かの帰郷でも地元の友人から彼の噂を聞くことは一ミリたりとも無かったのであった。その間12年である。

そんな現実世界の広さを一気に狭めたのが、誉れ高ければ悪名も名高いアノ超巨大SNS、そう、
F a c e b o o kである。
ワーホリでオーストラリアに渡航する直前、いや渡航した後だっただろうか、彼の名前が「知り合いかも?」の欄に出てくるではないか!リアルでの人間関係の延長でしかないFacebook上で現実の上っ面な関係の人まで友達にしてしまうと、その距離感のせいでお互いに変な気を遣い合ってめんどくさいことこの上ない。そのことを知っていたため、リアルで大した関係の無い人ばかり提案してくるこの機能は殆どいつもチラ見でスルーがJK(常識で考えて)だったのだが、この時ばかりは「この機能もたまにはやるではないか!」と賞賛しきりであった。そう言えば高校時代の恩師にもこの機能のおかげでFacebook上で再会できたような気が。早速メッセージを送り、まずはネットでの再会を果たした。
ここにヤツの名前が現れたのである

そしてここがまさにミラクルなのだが、なんと俺に遅れて2ヶ月後に同じワーホリで同じオーストラリアに行く予定だと彼が言うではないか!しかも俺が滞在するブリスベンから電車で気軽に行けるゴールドコーストに。なんという時の巡り合わせだろうか。まさに「僥倖っ・・・!僥倖っ・・・!!」状態である。いくつかのやりとりを経てオーストラリアでの再会の約束を交わし、俺は彼の渡豪を待っていた。
それにしても、オーストラリアに来てからというもの、奇縁とも思える出会いが多いように感じる。今のバイト先にも、うちなーんちゅの、しかも母校の那覇商業高校で一学年上だった先輩が働いているし、先日旅行で訪ねてきた家族連れのお客さんなんかは、よくよく尋ねてみると千葉の自宅のすぐ近くに住んでらっしゃる農家の方であった。本当に、人生どこで誰と出会うのかわからないものである。まさに邂逅である。

そんな運命的とも思える感覚を抱きながら、ついに12年の時を経て彼との再会を果たした。異国の地、オーストラリアで。昔からいつか会いたいとぼんやり思い続けてはいたが、まさかそれが異国の地で実現にすることになるとは夢にも思っていなかった。3ヶ月間のワーホリ生活で語学学校に通いながらサーフィンを覚えた彼は日に焼け、俺以上にこちらでの生活を漫喫しているようであった。12年の時を経ても彼の良い意味でバカっぽい、陽気な雰囲気が変わっていないことに再会と郷愁の喜びを感じ、また長い内地生活でいささかすれて皮肉屋な人間になったであろうこの俺にあの頃と同じように接してくれたことに安堵した。


再会の瞬間。待ち合わせ場所に高宏が現れ、100mの距離をお互いに歩み寄っていく。まだ顔は見えない。カメラを向けるとポーズを取る高宏。相変わらずのアホアホっぷりが確認できた瞬間。

地元仲間の誰もが知らなかった彼の12年間の過去を聞いてみると、中学・高校時代にはサッカーとバンドに明け暮れたり、反抗期で何度も家出を重ね元ボクサーの父親にボコられたり(沖尚の生徒なのにw)、高校卒業後は琉球大学(県内唯一の国立大である)に進学したり、そんな父親の足跡をたどるようにプロボクサーになったりと、リア充なのか何なのかわからない濃い人生を送っていたようだw反抗期の話なんかはちょっとうらやましかったなぁ。話を聞くに、彼の母親は大変な思いをしただろうけど、俺はチキンでそんなことできなかったし。反抗期らしい反抗期が無かったから今の俺は性格がひねくれてるんだろうな・・・と考えさせられたり。とにかく彼は昔のイメージと変わらない12年間を送っていたようだ(笑)しかしそんな性格が災いしたのか、再会の前日(大晦日である)に彼はサーフィンで5針を縫う怪我を脚に負っていた。バカやな・・・w

 
そして、元々その予定は無かったのだけど、折角ゴールドコーストに来たのだから、ということで海で泳ぐことに。脚の包帯をさすりながら涙目で海を眺める彼を尻目に一人ゴールドコーストの海を初めて漫喫したのだけど、とても楽しかった。こっちに来てからは勉強に集中しようと外で遊ぶことは控えるようにしていたのだけど、たまにはいいものだなと感じた。特に12月は色々あって気分の滅入る日が多かっただけに、最高の気分転換になった。家に閉じこもって自分の世界に浸りすぎていたのかもしれない。浜辺に寝転んで身体を日に焼きつつ空を見上げながら自分自身を客観的に見つめてみると、旧友との再会を果たし、世界有数のビーチに寝転んでいる今の自分はこれまでにない自由を謳歌しているのだという事実に気付かされた。二年後の自分がこの地でこんなことをしているなんてことは四ッ谷で働いていた当時の自分には全く想像できなかっただろう。その時には得られなかった最高の自由を今手にしていて、だからこそ意義あるものにしなければならないというとても重要なことを再認識させられた。
1年目のワーホリ期間ももう折り返し地点。年明けと同時にこのことに気づけて良かった。たまには気分をリフレッシュさせるのも悪くないな。

12年越しの再会はとても楽しかった。彼とは今後行動を共にしようかと話をしている。再度気合を入れなおし、ワーホリ1年目の後半戦に臨みたい。

2012/12/31

NAATIについて調べてみた~認定制度編その3~

過去二回の記事のまとめ。
NAATIについて調べてみた~認定制度編その1~
NAATIについて調べてみた~認定制度編その2~

翻訳者あるいは通訳者としてNAATIの認定資格を取得する手段は五つ存在するが、それぞれ取得できる資格が異なっており、自分の好きな手段で好きな認定資格が得られるわけではないことに注意する必要がある。また、かなりハードルの高い申請条件が設置されているものもある。
これらを踏まえた上で整理すると、

NAATI指定校の翻訳(通訳)課程を終了する>認定試験を受ける>その他の方法で申請する

この順番でNAATI認定資格取得を目指すのが最も簡単(合理的)であるということになるだろう。全体的な統計がホームページ上に掲載されていないためハッキリしないが、2010年~2011年の年次報告書のデータを見る限りでは、この期間に認定を受けた翻訳者(通訳者)の67%が指定校経由での認定取得となっており、次いで認定試験受験による認定取得が30%となっている。残りがその2の記事で挙げた3,4,5番目の方法による認定取得になるが、それらが全体に占める割合はたったの3%となっている。このことからも、上述した順番での認定取得が一般的であることが窺える。

ちなみに、認定試験の試験要項末尾には言語別に試験に関する特記事項があり、日本語の試験については以下のように定められている。
  • 漢字は常用漢字1945字のみ使用可能、旧字体の使用不可
  • かな表記は現代仮名遣いに準拠
  • 筆記は楷書によること、草書体は不可
  • カタカナの表記は研究社「新和英大辞典 第4版」で定められた再修正ヘボン式に準拠
  • 言語は標準語を用い、方言やスラングを使用しないこと(翻訳試験・通訳試験)
また、規定に沿わない「異なった文字や仮名遣い」は採点の対象から除外されるとまで記されている。なかなか細かく定められていて驚いた。

少し脱線するが、個人的に気になったのが「方言やスラングを使用しないこと」の部分。これは以前から考えていたことなのだが、私の場合、将来通訳をするにあたって訳出の面で沖縄で育ったことがいつか障壁になるのではないかと小さな不安を抱いている。というのも、沖縄の言葉遣いには方言とは別に沖縄独特の日本語表現というものがあり、字面は日本語なのだが、そのような言い方は内地(本土)ではまったく使われない、というものがかなりある。しかも、沖縄人のほとんどはそうした表現は内地でも通じる一般的な表現だと思っている。たとえば、
  • クーラーが「逃げる」(冷気が窓などから出ていくこと)・・・「クーラーが逃げるから窓閉めて~」など
  • 洋服を「つける」(衣類は全て「着(つ)ける」で表現する)
  • 水を「こぼす」(意図的に捨てること。日本語の「こぼす」は不注意によるものらしい)
  • 「~しましょうね、~しようね」(日本語ではLet's、お誘いの意味だが沖縄ではただの報告)・・・「じゃあ帰りましょうね~」(=いっしょに帰ろうという意味ではなく、さようならの意味)」
私自身、このような表現が沖縄独特のものであるということは、FM沖縄の「辞典には載っていないウチナー口講座」で大学生時代に初めて知った。

こうしたことを考えると、試験官はこういった些細な言葉遣いを厳密に発見し採点に反映させることができるのだろうかと疑問が浮かんでくる。その1で紹介した丸岡さんの記事でも指摘されているが、採点者は同レベルの通訳者・翻訳者が務めることになっている。受験者の解答が常用漢字1945字のみを使用し、研究社の再修正ヘボン式に則ったものになっており、そして方言やスラングを使用していないか、文章や録音データを一つ一つ確認するのはそう簡単ではなく、採点にかなりの時間を要するように思うのだが・・・。

以上、かなり大雑把ではあるが勉強も兼ねて認定制度について目立った箇所をまとめてみた。誰かの役に立てば良いのだが・・・。

NAATIについては今後も継続的に記事にしていく予定(予定…)なので、こういう点を調べて欲しい、という要望などがあればお知らせください。ご期待に応えられるかは不明ですが(^_^;)

ShareThis