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2013/03/29

香港人&台湾人の暇つぶし


韓国人の花札を目撃したのはつい数日前なのだが、実はそれよりもっと前、今のホステルに来て二日目ぐらいに目撃したのが彼らの麻雀だったwまさかオーストラリアで麻雀牌を見るなんて・・・と最初はビビった。花札以上にビビったwていうかお前らどこで一式ゲットしたんだよ・・・まさかわざわざ自分の国から持ってきたのか?と聞いてみたらパースで$80(¥8,000ぐらい)で購入したそう。結構な金額だと思うんだけどw

麻雀を知ったのは小学校高学年の頃に読み始めた「勝負師伝説 哲也」だったのだが、この漫画のせいで麻雀はイカサマをするのが普通のゲームだと長いこと思っていたwこの漫画を読んで知っている程度だから、役や牌の名前その他(ポン・チー・カン)を単語として知っているだけで、具体的なルールは全く知らない。楽しいゲームなのは間違いないはずだから、ルールを覚えて挑戦してみたいのだけど・・・。麻雀をやる友人は周囲に全くいなかったために覚えるきっかけが全く無かった。おかげで韓国式花札の時と違って、彼らの麻雀を眺めていても日本のルールとどんな違いがあるのか皆目見当がつかない。うーん残念。本気出せばネットゲームで勉強できそうではあるけどw

囲碁・将棋もそうだけど、頭を使う卓上ゲームは判断能力を磨く良い訓練になるだろうな~。大局観と呼ばれるこの直感的思考能力は人生に役立つといっても過言ではないはず。


楽しそうだなーいいなー。ルールを覚えていつか鷲巣麻雀をやるのが俺の夢の一つw

そう言えば、沖縄にはツバメ返しができる凄腕の雀士がいるので紹介しておく。

韓国人の暇つぶし

ある日の夜、韓国人たちがある遊びに興じているのを発見した。それを見た俺は驚いた!
なんと花札をしていたのである。「韓国人も花札を知ってるのか!」と尋ねると、これまたびっくり、「花札は日本のゲームで、韓国に輸入されてるんだよ」とのこと。知らなかった・・・!!話を聞いてみると、韓国の若者はほとんどルールを知っていて、誰でもできるらしい。花札が出来る若者は日本にはあまりいないんじゃないか・・・?
俺が花札を覚えたのも、子どもの頃に毎年正月に母親にいやいや引きずられるようにしてやんばる(沖縄中北部)にある瀬底島の祖母の家を訪ねたせいだった。島内には個人経営の売店が2店舗と小学校があるだけで、娯楽は何もなく、更にその島は本島と橋で繋がった集落であるため、子どもの頃の俺にはまさに監獄のような場所で、死ぬほど退屈であった。

退屈なのは子どもだけではなかったようで、帰省中の親族みんなで花札をやるのが習慣のようになっていた。徹マンならぬ徹ハナで早朝までやることもしょっちゅうで、祖父の通夜の際にも棺の横で花札をやっていたのをよく覚えている。
最初は俺も見ていただけだったのだが、門前の小僧習わぬ経を読む、で自然と覚えてしまった。といっても2人用のこいこいよりもっと単純な花合わせの亜流の用なルールを一回4人でやっていた。

韓国人たちの花札のやり方を観察してみると、ルールはこいこいに似た「ゴーストップ(Go Stop)」というルールが主流のようで、上がりに必要な役を揃えた際にこいこいするかしないかをGoまたはStopで宣言する。ただし、ジョーカーやボーナスカードと呼ばれる特殊なカードがあったり、自分の札と場の札を合わせた後で山札から同じ種類の札を引いてしまった場合は自分の札として獲得することはできず、場に3枚1組として置かなければならない、などよりゲーム性の高いルールになっている印象。

韓国の花札は短札の「みよしの」「あかよろし」がハングルになっていたり、20点札全てに「光」の文字が入っていたりと、日本の花札と微妙に絵柄が違っていて面白い。

韓国式花札を覚えて彼らと勝負してみたいと思ったので軽く教えてもらった。ルールはそこまで難しくはないものの、役作りの戦略の立て方が違っているため慣れるのに時間がかかりそうだ。「iPhoneのアプリがあるからそれで勉強しなよ!」と教えてもらったので、目下勉強中である笑


こういう些細な発見と驚きも旅の醍醐味なのかもしれんな。こんな形の交流も面白い。

2013/02/24

パースの写真いろいろ

先月23日にブリスベンからパースに移動した。飛行機で5時間もかけてオーストラリアの西端に移動したわけだけど、予想していた以上に都会で驚いた。あと、ブリスベンにいた時は色んな人からパースは物価が高いと言われたのだけど、想像してたよりは高くなかったな~。ほとんど外食してないからそう感じるのかもしれないけど。

州が変わると色々変化があるのね、ということで個人的に面白いと思ったパースの写真を貼っていきます。

パースに降り立っていきなり驚かされたのがこのバス。こんな風に運転席が完全に保護されたバスはブリスベンでは一度も見たことがなかった。けど全部のバスがこんな風に完全防御されているわけではなく、市街地で走っているバスにもフェンス付きのものとそうでないものがあった。テロ対策にしてはテキトーな気が。よくわからんw

夢がひろがりんぐなマネーストリート。金持ちになりてー。

タカヒロが「ハリーポッターみたいな道」と小学生並みの感想を漏らしたオシャレな通路。両サイドには葉巻屋さんやチョコレート屋さんなど一流感溢れるお店がずらっと軒を連ねていた。パース市街はまぁブリスベンと変わらない町並みなのだけど、アーケードに面したこの通路だけはイギリスちっくで、「トンネルを抜けるとそこは・・・」の次に雪国ではなく、千と千尋の神隠しを頭に浮かべた俺も小学生並みの感覚しか持ちあわせていなかったのであった。


ブリスベンはカフェやファーストフードがいたるところにあり、その多くが無線環境を整えているため街に出ればネットの閲覧には困らなかったのだが、パースはそういった場所が限られていて苦労した。幸いにも図書館がWiFiを提供していたため利用しようとしたのだが、そのスピードの遅さに唖然。これって無いほうがマシなんじゃないか・・・?1ページ読み込むのに1日かかるレベルw 街中のカフェなどの無線はここまで遅いことはないのだろうけど、ブリスベンよりはタダで使える無線環境(野良WiFi)が少ない印象。探すのに苦労した。


ちなみにその図書館のロッカー利用に関する看板↓
荷物が安全な場所に保管されているという安心感―プライスレス。言うことはキザ。

ブリスベンの注意書き
パースの注意書き
ブリスベンの表示と微妙に違うパースの歩行者用信号機の注意書き。緑の男がパースでは右向きになっているwあと気のせいか細身になってる・・・。ちなみにどこに行っても赤点滅時は超サイヤ人化するようだ。

やっつけ仕事感満載のエレベーター。表示が壁に埋まってます。これがオージークオリティーなのか。

あと変なダンサーもいました。
このヤル気の中途半端さにはアボリジニも反応せざるを得ない。

2月10日は旧正月ということでパースでもお祭りが開かれていた。美味しそうな屋台やゲームが沢山あるのだが・・・これは誰がやるんだ?wしかも一秒ごとに全てのピエロが同時に左右に首振りします。子どものトラウマになること必至。

それから、オーストラリアに来てからというもの観光らしい観光は全くしてこなかったのだけど、この前はパースから電車で40分ほどのフリーマントルという港町に行ってきた。お洒落で落ち着いた町だったし、また行きたいわん。以下フリーマントルの写真。

インド洋だよインド洋!ちょっと感動wしかし海は俺的には普通だった。


お洒落。メルボルンもこんな感じなのかな~と想像。

mixiの昔のログインページみたいな高台に来たので必死にこのアングルで撮影。

この日の同行者たち。たかひろの語学学校のクラスメイト。俺様完全にアウェーだったのでバンキシャも真っ青のローアングルからいやらしく撮影。


少しずつ日焼けしてきた。




とりあえずパースで面白いと思ったのはこれぐらいかな。




ていうか俺写真撮るのうまくないか!?w

2013/02/16

9時間後・・・

青空の下、この場所で日焼け止め無しで9時間働いたら・・・




首の後ろがこんなに焼けてしまった!オーストラリアの紫外線量は日本の7倍近くあるらしいのだが、襟ぐりの広い長袖しか持っていないためここだけ日焼けがひどいことに。

今度からは日焼け止め塗ろうかな~。さすがにこっちで一回も日焼け止めを使わないのはマズイか・・・。

2013/01/05

邂逅その3:国吉高宏


いつもと変わらない日常感満載だったここオーストラリアで年越しを迎えたわけだけど(明けましておめでとうございます)、年明け早々にミラクルとも思える再会をゴールドコーストで果たしてきた。彼の名は国吉高宏(くによしたかひろ)。金持ち一家のドラ息子として地元の仲間の間では有名な男で、小学校時代に頻繁に遊んでいたのだが、俺を含む地元仲間の多くが校区内の中学校に進学する中、彼は県内屈指の進学校として名高い沖縄尚学(中高一貫校)に進学しお互い別の道を歩んだことで、お互いに長いこと連絡を取っていなかったのであった。沖縄尚学は甲子園優勝を果たしたことのある高校だからご存知のないちゃーも多いはずだ。

牧歌的、アホアホで脳内お花畑な馬鹿笑いに満ちた小学校6年間を共に過ごしてきただけに(少なくとも俺の6年間はそうだったぞ)、一緒にガハハ笑いを共有してきたアイツが沖尚(おきしょう)に進学したという当時のニュースはまさに青天の霹靂といった感じで、「え、一緒にバカやってきたのにお前は沖尚・・・?俺取り残され、え・・・?」と軽いショックを覚えた同級生は俺だけじゃなかったはずだ。実際、沖尚に進学したのは学年でも2,3人で、その中の一人が彼だったとは他の友人たちも想像できなかったはずだ。俺も卒業後に知ったしね。

そういう事情があり、そして彼のズボラな性格もあり、小学校卒業後彼は同級生の誰一人とも連絡を取ることがなく、会うことも一切なかったそうだ。狭い沖縄で誰とも会わずに過ごすことなんてできるんですねえ・・・。彼は引越しもしてなかったのに。

そして時は流れ、俺は彼のその後を知ることのないまま、高校卒業後内地(千葉)へと旅立ち、大学生になり、社会人になり、会社をやめることになる。その間の何度かの帰郷でも地元の友人から彼の噂を聞くことは一ミリたりとも無かったのであった。その間12年である。

そんな現実世界の広さを一気に狭めたのが、誉れ高ければ悪名も名高いアノ超巨大SNS、そう、
F a c e b o o kである。
ワーホリでオーストラリアに渡航する直前、いや渡航した後だっただろうか、彼の名前が「知り合いかも?」の欄に出てくるではないか!リアルでの人間関係の延長でしかないFacebook上で現実の上っ面な関係の人まで友達にしてしまうと、その距離感のせいでお互いに変な気を遣い合ってめんどくさいことこの上ない。そのことを知っていたため、リアルで大した関係の無い人ばかり提案してくるこの機能は殆どいつもチラ見でスルーがJK(常識で考えて)だったのだが、この時ばかりは「この機能もたまにはやるではないか!」と賞賛しきりであった。そう言えば高校時代の恩師にもこの機能のおかげでFacebook上で再会できたような気が。早速メッセージを送り、まずはネットでの再会を果たした。
ここにヤツの名前が現れたのである

そしてここがまさにミラクルなのだが、なんと俺に遅れて2ヶ月後に同じワーホリで同じオーストラリアに行く予定だと彼が言うではないか!しかも俺が滞在するブリスベンから電車で気軽に行けるゴールドコーストに。なんという時の巡り合わせだろうか。まさに「僥倖っ・・・!僥倖っ・・・!!」状態である。いくつかのやりとりを経てオーストラリアでの再会の約束を交わし、俺は彼の渡豪を待っていた。
それにしても、オーストラリアに来てからというもの、奇縁とも思える出会いが多いように感じる。今のバイト先にも、うちなーんちゅの、しかも母校の那覇商業高校で一学年上だった先輩が働いているし、先日旅行で訪ねてきた家族連れのお客さんなんかは、よくよく尋ねてみると千葉の自宅のすぐ近くに住んでらっしゃる農家の方であった。本当に、人生どこで誰と出会うのかわからないものである。まさに邂逅である。

そんな運命的とも思える感覚を抱きながら、ついに12年の時を経て彼との再会を果たした。異国の地、オーストラリアで。昔からいつか会いたいとぼんやり思い続けてはいたが、まさかそれが異国の地で実現にすることになるとは夢にも思っていなかった。3ヶ月間のワーホリ生活で語学学校に通いながらサーフィンを覚えた彼は日に焼け、俺以上にこちらでの生活を漫喫しているようであった。12年の時を経ても彼の良い意味でバカっぽい、陽気な雰囲気が変わっていないことに再会と郷愁の喜びを感じ、また長い内地生活でいささかすれて皮肉屋な人間になったであろうこの俺にあの頃と同じように接してくれたことに安堵した。


再会の瞬間。待ち合わせ場所に高宏が現れ、100mの距離をお互いに歩み寄っていく。まだ顔は見えない。カメラを向けるとポーズを取る高宏。相変わらずのアホアホっぷりが確認できた瞬間。

地元仲間の誰もが知らなかった彼の12年間の過去を聞いてみると、中学・高校時代にはサッカーとバンドに明け暮れたり、反抗期で何度も家出を重ね元ボクサーの父親にボコられたり(沖尚の生徒なのにw)、高校卒業後は琉球大学(県内唯一の国立大である)に進学したり、そんな父親の足跡をたどるようにプロボクサーになったりと、リア充なのか何なのかわからない濃い人生を送っていたようだw反抗期の話なんかはちょっとうらやましかったなぁ。話を聞くに、彼の母親は大変な思いをしただろうけど、俺はチキンでそんなことできなかったし。反抗期らしい反抗期が無かったから今の俺は性格がひねくれてるんだろうな・・・と考えさせられたり。とにかく彼は昔のイメージと変わらない12年間を送っていたようだ(笑)しかしそんな性格が災いしたのか、再会の前日(大晦日である)に彼はサーフィンで5針を縫う怪我を脚に負っていた。バカやな・・・w

 
そして、元々その予定は無かったのだけど、折角ゴールドコーストに来たのだから、ということで海で泳ぐことに。脚の包帯をさすりながら涙目で海を眺める彼を尻目に一人ゴールドコーストの海を初めて漫喫したのだけど、とても楽しかった。こっちに来てからは勉強に集中しようと外で遊ぶことは控えるようにしていたのだけど、たまにはいいものだなと感じた。特に12月は色々あって気分の滅入る日が多かっただけに、最高の気分転換になった。家に閉じこもって自分の世界に浸りすぎていたのかもしれない。浜辺に寝転んで身体を日に焼きつつ空を見上げながら自分自身を客観的に見つめてみると、旧友との再会を果たし、世界有数のビーチに寝転んでいる今の自分はこれまでにない自由を謳歌しているのだという事実に気付かされた。二年後の自分がこの地でこんなことをしているなんてことは四ッ谷で働いていた当時の自分には全く想像できなかっただろう。その時には得られなかった最高の自由を今手にしていて、だからこそ意義あるものにしなければならないというとても重要なことを再認識させられた。
1年目のワーホリ期間ももう折り返し地点。年明けと同時にこのことに気づけて良かった。たまには気分をリフレッシュさせるのも悪くないな。

12年越しの再会はとても楽しかった。彼とは今後行動を共にしようかと話をしている。再度気合を入れなおし、ワーホリ1年目の後半戦に臨みたい。

2012/12/31

NAATIについて調べてみた~認定制度編その3~

過去二回の記事のまとめ。
NAATIについて調べてみた~認定制度編その1~
NAATIについて調べてみた~認定制度編その2~

翻訳者あるいは通訳者としてNAATIの認定資格を取得する手段は五つ存在するが、それぞれ取得できる資格が異なっており、自分の好きな手段で好きな認定資格が得られるわけではないことに注意する必要がある。また、かなりハードルの高い申請条件が設置されているものもある。
これらを踏まえた上で整理すると、

NAATI指定校の翻訳(通訳)課程を終了する>認定試験を受ける>その他の方法で申請する

この順番でNAATI認定資格取得を目指すのが最も簡単(合理的)であるということになるだろう。全体的な統計がホームページ上に掲載されていないためハッキリしないが、2010年~2011年の年次報告書のデータを見る限りでは、この期間に認定を受けた翻訳者(通訳者)の67%が指定校経由での認定取得となっており、次いで認定試験受験による認定取得が30%となっている。残りがその2の記事で挙げた3,4,5番目の方法による認定取得になるが、それらが全体に占める割合はたったの3%となっている。このことからも、上述した順番での認定取得が一般的であることが窺える。

ちなみに、認定試験の試験要項末尾には言語別に試験に関する特記事項があり、日本語の試験については以下のように定められている。
  • 漢字は常用漢字1945字のみ使用可能、旧字体の使用不可
  • かな表記は現代仮名遣いに準拠
  • 筆記は楷書によること、草書体は不可
  • カタカナの表記は研究社「新和英大辞典 第4版」で定められた再修正ヘボン式に準拠
  • 言語は標準語を用い、方言やスラングを使用しないこと(翻訳試験・通訳試験)
また、規定に沿わない「異なった文字や仮名遣い」は採点の対象から除外されるとまで記されている。なかなか細かく定められていて驚いた。

少し脱線するが、個人的に気になったのが「方言やスラングを使用しないこと」の部分。これは以前から考えていたことなのだが、私の場合、将来通訳をするにあたって訳出の面で沖縄で育ったことがいつか障壁になるのではないかと小さな不安を抱いている。というのも、沖縄の言葉遣いには方言とは別に沖縄独特の日本語表現というものがあり、字面は日本語なのだが、そのような言い方は内地(本土)ではまったく使われない、というものがかなりある。しかも、沖縄人のほとんどはそうした表現は内地でも通じる一般的な表現だと思っている。たとえば、
  • クーラーが「逃げる」(冷気が窓などから出ていくこと)・・・「クーラーが逃げるから窓閉めて~」など
  • 洋服を「つける」(衣類は全て「着(つ)ける」で表現する)
  • 水を「こぼす」(意図的に捨てること。日本語の「こぼす」は不注意によるものらしい)
  • 「~しましょうね、~しようね」(日本語ではLet's、お誘いの意味だが沖縄ではただの報告)・・・「じゃあ帰りましょうね~」(=いっしょに帰ろうという意味ではなく、さようならの意味)」
私自身、このような表現が沖縄独特のものであるということは、FM沖縄の「辞典には載っていないウチナー口講座」で大学生時代に初めて知った。

こうしたことを考えると、試験官はこういった些細な言葉遣いを厳密に発見し採点に反映させることができるのだろうかと疑問が浮かんでくる。その1で紹介した丸岡さんの記事でも指摘されているが、採点者は同レベルの通訳者・翻訳者が務めることになっている。受験者の解答が常用漢字1945字のみを使用し、研究社の再修正ヘボン式に則ったものになっており、そして方言やスラングを使用していないか、文章や録音データを一つ一つ確認するのはそう簡単ではなく、採点にかなりの時間を要するように思うのだが・・・。

以上、かなり大雑把ではあるが勉強も兼ねて認定制度について目立った箇所をまとめてみた。誰かの役に立てば良いのだが・・・。

NAATIについては今後も継続的に記事にしていく予定(予定…)なので、こういう点を調べて欲しい、という要望などがあればお知らせください。ご期待に応えられるかは不明ですが(^_^;)

NAATIについて調べてみた~認定制度編その2~

前回の記事では、認定試験によるNAATIの認定資格取得について確認した。今回は、それ以外の

2.オーストラリア国内のNAATI指定教育機関で翻訳(通訳)課程を修了する
3.オーストラリア国外の教育機関で取得した翻訳(通訳)の資格で申請する
4.国際的なプロ翻訳者・プロ通訳者協会への加盟証明を行う方法
5.突出した実績を証明する方法

についてみていく。

前回の記事では、翻訳・通訳両方の認定資格において、試験制度では取得できないものがあることがわかった。そこで、上に列記した2~5番目のいずれかで認定申請を行う場合について、それぞれの資料を読んでみると、これらの申請方法であればConference Interpreter(シニア含む)とAdvanced Translator(シニア含む)の認定が受けられる旨記されている。やはりこれらの資格は認定試験の受験では取得できない仕組みになっており、認定資格自体が廃止されたり統合されたりしたわけではないようである。
では、1つずつ見ていく。

2.オーストラリア国内のNAATI指定教育機関で翻訳課程あるいは通訳課程を修了する
日本語の翻訳・通訳(もしくは両方)認定が受けられる学校はオーストラリア国内に現在16校あり、来年2月からはメルボルンのモナシュ大学でもNAATIの指定を受けた翻訳・通訳課程が始まる。これらの教育機関で翻訳(通訳)課程を修了した学生は認定試験を受験する必要のなく各教育機関毎に定められたレベルの翻訳者(通訳者)認定を受けることができる。
NAATI指定一覧はこちら(2012年11月現在)。

3.オーストラリア国外の教育機関で取得した翻訳(通訳)資格で申請する場合
この方法で取得できる認定資格は以下。
  • Advanced Translator
  • Professional Translator
  • Conference Interpreter
ただしこの方法による申請の場合、オーストラリア国内で翻訳(通訳)課程を修了した場合(方法2)と異なり、当該教育機関での資格取得(課程修了)イコールNAATI認定取得にはならないと記載されており、同じ教育機関から複数の生徒が申請を行うようなケースでは、各人の実務経験なども別途加味した上で査定を行うため、申請が通るかどうかの結果は一人一人異なると明記されている。

4.国際的なプロ翻訳者・プロ通訳者協会への加盟証明を行う方法
この方法で取得できる認定資格は以下。
  • Advanced Translator(シニア)
  • ---国際会議翻訳者協会(Association Internationale de Traducteurs de Conference)をはじめとする協会の加盟会員に付与される認定資格。
  • Professional Translator
  • ---翻訳の学位を取得している英国公認言語学会(Chartered Institute of Linguists)会員に付与される認定資格。
  • Conference Interpreter(シニア)
  • ---国際会議通訳者協会(Association Internationale des Interprètes de Conférence)会員に付与される認定資格。
他の方法と同様、この方法による認定申請も関係書類(会員証明など)の提出によって査定される。

5.実績証明
この方法で取得できる認定資格は以下。
  • Advanced Translator(シニア)
  • Conference Interpreter(シニア)
「突出した実績を証明する」だが、資料によると、
Advanced Translator(シニア)
  • 申請の時点で最低でも過去5年以上に渡り国連関係機関、欧州連合(EU)、インターポール、国際司法裁判所、NATOで常勤翻訳者として働いた実績のあること、あるいはフリーランスとして以下全てを満たすこと
    1. ヨーロッパ言語またはアジア言語への100万語以上の翻訳実績、または1ページ25行ダブルスペースの様式で4000ページ以上の翻訳実績があること。またそれらの実績が申請者自身の活動のみによって達成されたものであることをバンクーバープロトコルに基づき法的に宣言すること
    2. 査定用にAdvanced Translator以上の基準で訳出した翻訳文書を3つ提出し、それらの実績が申請者自身の活動のみによって達成されたものであることをバンクーバープロトコルに基づき法的に宣言すること
Conference Interpreter(シニア)
  • 申請の時点で最低でも過去5年以上に渡り国連関係機関、欧州連合(EU)、インターポール、国際司法裁判所、NATOで常勤通訳者として働いていること、あるいは
  • フリーランス会議通訳者として国際会議、セミナー、政府による多国間協議に150日以上従事していること

これらが認定に必要な実績の目安として定められている(他にもそれら実績の証明方法に関わる規定がある)。かなり厳しい条件のように感じる。

ある同時通訳者は、ミス・ユニバースで通訳を務めてきた経験も、同時通訳者としての15年のキャリアもNAATIの認定取得には全く役に立たず、泣く泣くProfessional Interpreterの試験を受験するしかなかったと嘆いている。しかもこの同時通訳者は不幸なアクシデントのおかげで再受験するハメになったようだ。

ここまで具体的に明記されていると、たとえどれだけ知名度の高い国際的なイベントや会議でも、ここに明記されている機関以外での活動は「突出した実績」とはみなされないということかもしれない。

このように、申請する方法によって取得できる認定資格がかなり細かく区別されている。

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