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2013/07/14

ちょっと困惑することがあった

つい先日、困惑することがあった。友人たちと話していた時のこと。今思い出してもどう理解して良いのかわからず、頭の中を整理できないため、この内容も支離滅裂になものになっているだろう。

ちょっとしたホームパーティーに参加し、みんなで夕食を食べたのだが、参加者の中に日本人は俺一人で、10人程度いるメンバーはみな同じ国の人たち。俺と話す時は英語で会話していた。

そのうちの一人が、「いつか日本(か沖縄)に行くからその時はガイドと宿泊場所と食事もろもろ全部提供してね!往復の航空券だけ自分で負担するから!」と言ってきた。まぁ冗談だろうと思いながら、相手の調子に合わせて「てことはつまり俺に会うのが楽しみだから会うわけじゃなく、あくまで俺を利用して俺の故郷をタダで満喫するために俺に会うわけだな!?」と皮肉っぽく返した。すると、相手は「I'm just kidding! lol You're too serious!(冗談だよ~真剣に捉え過ぎ!)」と返してきた。冗談ならもっと面白い言い方しろよ・・・と思いつつ、苦笑しながら一度は適当にやり過ごした。だが、その後も件の人物はことあるごとに同じことを何度も言ってくる。段々俺の方も、「こいつ多分マジだな・・・」と思い始める。相手が同じことを何度もいうもんだから、俺も上に書いたことを再三繰り返す。その度に相手は「You're too serious!」を返してきた。しまいにはその話を聞いていた他の人たちまで同じことを俺に言ってきた。たとえ冗談でも、何度も金を無心されるちょっと・・・と辟易すると同時に、向こうの言い分は周囲も冗談と認める一方で、俺の返事はなぜか冗談と捉えられなかったことに違和感を覚えた。俺としては、相手と同じ調子で返したつもりだったのだが・・・。その後もこのことが頭に残ったままで、その夜はずっとモヤモヤとした気持ちが消えなかった。いまだに、何故彼女のセリフだけが冗談とみなされ、俺の返事は冗談と認識されなかったのかわからない。

宴もたけなわを迎え、そろそろ帰るかという頃合いに泊まっていくように勧められた。正直、モヤモヤイライラしていたため、帰って一人の時間を過ごしたかった。帰りたかったし、こんな気分の俺が残って泊まってもみんなに迷惑をかけるだけだろうと思っていた。そうこう考えている間に、住んでいる一人が空き部屋を綺麗にしたからそこで寝るといいと言ってきた。陰鬱な気持ちを抱えたまま案内されるがままに覗いてみると、そこには友人の荷物が色々置いてあった。「荷物を置いているだけで別の部屋のベッドで寝てるから気にしないで」と言われるが、その荷物の持ち主はその夜初めて会った人で、しかも女性だ。気の置けない男友達の荷物がある部屋ならまだしも、全くと言っていいほど知らない人間。そんな部屋に寝るのは図々しいし失礼だと思った。だから、「親切にありがとう。けどいいよ。荷物を置いている彼女に悪い。今日は帰るよ。」と断ったのだが、向こうもいいから泊まっていけと食い下がる。それでも再度断った。「そっちが気にしなくても俺が気にするから。マジでありがとう。」と言うと、また「You're too serious(お前は真面目すぎる).」と言われてしまった。その言葉にウンザリしてしまった。

結局、運転担当だった別の友人が俺が泊まると勘違いしてしまったため置き去りにされ、その晩はその好意に甘えることを余儀なくされた。。

以前の記事でピア・プレッシャー(同調圧力)について少し書いたが、彼らの申し出を断る俺に対する彼らの態度になんとなくそれを感じた。 もちろんこの晩の友人たちはみんな親切で俺も好きだが、この一連のやり取りの時だけは、俺の意見が尊重されていないような気がした。「親しき仲にも礼儀あり」という価値観が彼らの文化には存在しないのだろうか?とさえ思ってしまった。そんなことはないはずなのだが。

自分でも、自分が人より少し真面目すぎるところがあることはわかっている。その原因は両親が離婚し片親・一人っ子で育った環境にあると思っている。今考えれば一人で過ごす時間が他の子供より圧倒的に多かっただろうし、一人っ子だったから、身近に相談できる人もいなかった。だから、自然と全て一人で考え、一人で行動するように育ったのだと思う。良く言えば、少しばかり自立した人間に育ったと思う。一方で、人に助けを求めたり好意に甘えたりすることが苦手な性格にもなってしまった。それでも、今まで日本で生きてきた中で「お前は真面目すぎる」なんてことをいきなり会話の中で言われたことは一度も無かった。覚えている限りは。その言葉を何度も何度もぶつけられたものだから、俺のこの性格がおかしいのだろうかとさえ思ってしまった。もしかしたら、日本でそう言われたことがなかったのは、幸運にも俺の友人たちが俺のことをよく知っていて、俺が皮肉屋で感情をあまり顔に出さない人間だということをよく理解してくれていたからかもしれない。もしそうならば、残念なことに、この晩の友人たちとの友人関係はまだまだ浅く表面的で、お互いを十分理解できていないものだということになる。まぁ、会ってたかだか数ヶ月程度で人を知った気になるのもおこがましいことだけど。

多分、「You're too serious!(お前は真面目すぎる)」と言われるたびにため息が出るような気分になったのは、そんな自分の自立した意見や性格が尊重されず、好意に甘えることを強制されているように感じたからだろう。あるいは、一対多数で日本人的思考が理解されなかったことに苛立ってしまったのかもしれない。もしかしたら、彼らの文化では人間関係は距離感の近いほど良しとされていて、友人の好意に甘えないことは逆に失礼で友情に背く行為だとみなされているのかもしれない。そう考えるなら、あのタイミングで申し出を断った俺が変に見られるのも当然だろう。しかし残念ながら、俺はどちらかと言うと、付かず離れずの距離感が最適な人間関係もあると思っているし、育った環境のせいもあって、多くの人と四六時中やんのやんのするよりは、70%の時間を一人で過ごしたいと思っている。自分がどうするか、どうすべきか、どうしたいかぐらいは自分で考えて決めたい。他人の意見も尊重するから、他人には俺の意見も尊重してほしいと思っている。それが無視されたような気がして、その夜は一気に気持ちが冷めてしまった。

もしかしたら、俺が認識している彼らとの距離感と、彼らが認識している俺との距離感には大きな違いがあるのかもしれない。この二つのできごとはそれを示唆しているような気がした。

少しばかり時間が経って、思いつく範囲で原因を考えながら気持ちを整理してみた。上に書いたことが正しいことなのかか全くわからないが、少しは気持ちが落ち着いた。この文章を読む多くの人も、俺は真面目な人間だと思うのかもしれない。そう言えば、会社を辞める時も、理由を伝えた上司に真面目だと言われたっけ。

良くも悪くも、異文化コミュニケーションというのは難しい。自分の認識の甘さを痛感させられた気がする。

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