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2021/10/03

スパルタンレースに参加してきました

先月、9月18日(土)に通訳の恩師と先輩と共に新潟の越後湯沢で開催されたスパルタンレースに参加してきました。

スパルタンレースとは古代ギリシャにかつて存在し圧倒的な武力を誇ったスパルタ人にちなんだ競技で、一言で説明すると、様々な障害物をクリアしながらゴールを目指すマラソン。精神と肉体の限界が試される競技です。スパルタンレースは世界中で開催されていて、2017年に初上陸して以来、日本でも各地で開催されています。元々その名前は知っていて、いつか参加してみたいな〜と学生の頃からぼんやり考えていたところ、8月ごろにたまたまマイクさんがTwitterで通訳仲間の参加者を募集していたのを発見、ノリで参加表明をしたのでした。後に死ぬほど辛い思いをすることなど、この時は想像だにできませんでした・・・。

海外の過去のイベントの様子。一部障害物が違うものの、大体同じ。

スパルタンレースは5km、10km、20kmの3つのコースがあり、我々は仲間との協力が唯一許されている5kmのコースにチームとして出場しました。障害物がクリアできない場合はバーピーを30回こなさなければいけないのですが、5kmのコースでは仲間が障害物をクリアできなかった場合にバーピーの回数をチームのメンバーで分け合ってペナルティを消化することができます。

障害物がクリアできなかった際に課されるバーピー。

最悪なのは力を振り絞って障害物を進んでいる途中で失敗してしまった場合。二重の苦しみを避けるために、あえて障害物に挑戦せず最初からバーピーを行う人もいました。動画だと簡単そうに見えますが、今まで一度もやったことのない人はぜひ試してみてください。5回ぐらいで「えっ、ちょっと待ってこれキツくない?」となるはず(笑)スパルタンレースでは障害物を失敗する度に30回その場でこれをやらないと先に進めません。

今回は恩師のマイクさんと、このイベントをきっかけにお近づきになった同じく通訳であるフリィさんの3人でチームを組んで参加しました。フリィさんのお名前は以前に何度かSNSでお見かけしたことがあるものの、全く接点が無く初対面だったので実は直接お会いするまで緊張してました。お話してみるととても気さくな方で、レース中も終始楽しく伴走させていただきました。マラソン大会に出場されるぐらい普段からよく走ってらっしゃるようで、この場でフリィさんに白状するとついていくのが大変だった場面がありましたw

余裕の表情でスタート地点へと向かう3人。
眉間に皺を寄せ睨みを利かせる男2人には輩感さえ漂います。
しかし、この後地獄を見ることになる。

お祭り的なノリで参加したため、事前にコースを確認したりどんな障害物があるのか全く調べたりせず当日を迎え、スタートの瞬間も「5kmなんて余裕っしょ!」と思いながら出走。しかし、このレースは道中になんと合計20もの障害物があり、しかも今回のコースは普段は冬にスキー場として利用されているガーラ湯沢(山)!そう、このレースは平地ではなく山を走るトレッキングレースだったのです!!

レース開始からいきなり600m以上高度を上げていく上り坂のコース設計となっていて、次第にそのヤバさに気づくも時既にお寿司。いや遅し。もうやるしかりません。めちゃくちゃ重いバケツや砂袋(約30kg)を担いでその場を100mぐらい無意味に往復したり、重りを引っ張ったり、時にはあまりの辛さに「ピラミッドを建築した古代エジプトの奴隷労働者たちもこんな感じだったのかな?」と現実逃避的妄想に思いを馳せながら苦行をこなしていきます。



当時はビールが振る舞われていたというから、古代エジプトの奴隷労働者の方がまだマシかもしれない(笑)

しかも我々の走った時間帯は雨に降られながら走る泥まみれのマラソンとなり、障害物は雨で滑りやすくなっていた。そのため、失敗→バーピーの参加者が続出。極め付けは、数々のキツい障害物をくぐり抜け「もうそろそろゴールか!?」と思った頃合いに登場した上り坂。心が折れそうになりました。冗談抜きで45度ぐらい角度のある坂道で、その上先が見えないぐらい距離が長く、途中からふくらはぎがピクピク悲鳴を上げました。マジで山のど真ん中で動けなくなるのではないかと焦りました。

ひたすら長い上り坂。写真だとそんなにキツい勾配に見えないのが腹立たしい(笑)

ひたすらこの光景を目にしながら頂上を目指して歩き続けるわけですよ。そして、「やっと終わった・・・(ゼーゼー)、あとは下りだ・・・!(ゼーゼー)」と、息も絶え絶えで頂上への一歩を踏んだ瞬間に眼前に広がるのは、更に先が見えない上り坂。心がえぐられる。

このレースは仲間と一緒に参加した方が精神的に楽だろうな、と感じながらマイペースで走るマイクさんを一人残してフリィさんと二人で協力しながら進む。仲間が障害物をクリアできたら自分も嬉しくなるし、一人で走るのは辛すぎる。
・・・マイクさん、置き去りにしてすいません(笑)

ヒイヒイ言いながら重りを担ぎ、障害をよじ登り、地を這い・・・最後は炎の上をジャンプしてゴール!
3時間弱で完走。この時、マイクさんははるか後方で絶望の登山中・・・(笑)

しばらくしてマイクさんも無事完走!

走っている途中はあまりの辛さに「もう2度とやるか!」と思うのですが、ゴールして完走記念のメダルとTシャツを貰った時の感動と達成感はひとしお。小一時間後にはもう再挑戦したくなっていました(笑) 5 KM that will change your life(=人生を変える5km)」というキャッチフレーズの意味がわかった気がします。ネットで検索してみると、このレースのために普段からトレーニングをしている人もいるようで、このイベントにハマる人がいるのも完走した今なら納得。既に「今度は10kmに挑戦しよう!」とマイクさんとフリィさんと話しているので、多分来年も出る気がする(笑)興味のある方はぜひ一緒に走りましょう!

世界各地で頻繁に開催されているようなので、海外の友達といつか現地で一緒に走るのも今後の夢の一つになった。う〜ん、この5kmで俺の人生も変わってしまったかもしれない・・・!


久しぶりの屋外スポーツを楽しみつつ、同業の先輩たちとの一風変わった交流の機会にもなり、非常に充実した週末を過ごすことができました。マイクさん、企画ありがとうございました。フリィさん、初対面にもかかわらず仲良くさせていただきありがとうございました。

そして、スパルタンレースが日本に初めて上陸した時に実は仕事で関わっていて、今でも楽しみながらその関係を大事にし続けるマイクさんを改めてリスペクト。
苦しんだ末に貰った完走記念メダル。それなりの思い入れがある。

2021/07/03

ゲームのエンドロールに名前が掲載されました

 ご無沙汰しています!かなり久しぶりのブログ更新。前回更新したのは・・・2015年4月でした。

ピースボートに乗る直前の記事ですね。当時は通訳になるために修行としてピースボートに乗ったのでした。

細かい紆余曲折は割愛しますが、簡単に説明するとあれから無事に通訳としてのキャリアをスタートすることができ、どうにか今日まで生きています。

久しぶりの更新なので生存報告も兼ねて簡単に報告。この度、通訳者・翻訳者として仕事で関わったゲーム会社SEGAさんの新作「PSO2:NGS」(NGSと書いてニュージェネシスと読みます)のスタッフロールに名前を掲載いただきました!

PSO2:NGSは6月9日に全世界同時公開されたオンラインRPGで、日本で8年間運営されていた前作「PSO2」を大幅にパワーアップした新作です。

エンドロールの3:43ぐらいで名前が出てきます。嬉しい。


もともと幼い頃からゲームは好きで、いつかゲーム業界で仕事ができたらな・・・と当時から思っていたのだけれど、長らく目指していた通訳者・翻訳者としてこの業界に関わることができたことを非常にありがたく思っています。しかもいつの間にか名前が記載されていたので嬉しいサプライズでした。普段、消費者としてドラマや映画などを鑑賞する時はエンドロールにあまり注意を払うことはないものですが、いざこうして制作チームの1人としてクレジット表記されると感慨深いですね。


話は変わりますが、クレジットといえば、先日、大学時代の友人が立ち上げた会社がNHKワールドに特集されていました。BonZuttner(ボンズットナー)という会社で、オフショア開発を活用した受託開発のITベンチャーです。


ぜひ動画を見てみてください。

ハフポストにも紹介されていました。

シリア難民が日本企業のIT開発。ビジネスでシリアの復興に挑む、日本人起業家の思い


大学生の頃から難民支援の活動がしたいと常々口にしていたのですが、それ以上にアホなことばかり言っていた当時の彼からは想像もつかない、一角のビジネスマンとしての佇まい・・・。まさに「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という感じ(笑)。

それは冗談として、夢や目標を語ることは誰でもできるけど、その実現に向かって行動できる人は少ないものです。だからこそ、身近な存在で行動を起こしている人を見ると、応援したくなるし怠け者の自分にとってもいい発破になります。俺も頑張らねば。

ということで、それに負けじとも俺もそれなりに仕事をしていますよ、という近況報告でした。

2015/04/10

海賊王になってきます!

またしばらく日本を離れます!今回は3ヶ月ちょいぐらい。

日本に帰ってきてから仕事をするか通訳学校に通うか考えていたのだけど、良いタイミングでピースボートの通訳ボランティアとして採用してもらえたので乗船することにした。
2日後に今いる横浜から兵庫に移動し、13日に出航、本格的な旅が始まります。

念のため説明すると、ピースボートとは世界各地で草の根的に平和活動を行っているNGOで、年に4回ほど船で地球一周と銘打った3ヶ月の旅を行いながら、様々なプロジェクトを通して各地の団体と交流している。今回は終戦70周年ということで、おりづるプロジェクトと呼ばれる広島・長崎の被爆者の体験をシンガポールやドイツに届ける活動が目玉の一つ。ピースボート内ではCC(Communication Coordinator)と呼ばれる通訳スタッフは、船内で行われるゲストスピーカーのプレゼンや現地でのプロジェクトを逐次や同時で通訳して、乗客と英語教師として乗船している外国人スタッフを助けるのが役割。また一般の乗客が寄港地で参加する観光ツアーのツアーガイドの通訳も務める。他にも、色々。

今回俺が参加するのは北欧をメインに24ヶ国を周るクルーズ。

今回の航路
ピースボートは毎回ボランティアの通訳スタッフを募集しているのだけど、本当に通訳としての経験が得られるポジションなのか最初は懐疑的だった。ところが、色々と経験者の話を聞いてみると逐次も同通(と翻訳)もバリバリ要求され、馬車馬のごとく働かされるポジションということだったので応募した次第。なので、「地球一周」にももちろん興味はあるのだけど、それ以上に通訳修行として参加するという気持ちの方が強いです。早速、2日後にクルーズ一発目のイベントとして予定されている出航式の司会の通訳を任されたので楽しみにしています。横浜から乗る乗客と全スタッフが集結して乾杯をあげる重要イベントらしいので責任重大な予感!噂では500人ぐらいの前でやることになるらしい笑 しかも、12人で構成されるCCチームの初仕事を代表として務める場でもあるため、ふつふつとテンションが上がってきてます。出航後は、各地を目指しながら船内で開かれる20名ほどの専門家のプレゼンに通訳として入る予定。戦争・歴史・原発・自然エネルギー関連のプレゼンが多数予定されているので、積極的に関わり通訳の卵として歴戦の傷跡を負って帰ってきます!

今後、各寄港地でネットにアクセスできる機会があればまたブログを更新して近況を報告していく予定。応援よろしく!

2014/11/18

英検1級に受かってみました

日本に帰国してから英検を受けていたのだけど、今日、二次試験の結果発表があり、無事1級合格を果たすことができました!


2年もオーストラリアに行っていたわけですが、残りあと半年という頃から、自分なりに何か報告できるものを形として残したいな~と考えていました。パッと頭に浮かんだのが英検だったので、じゃあ1級を取ろうか、と決意。無事合格できて良かったw

しかし、合格できたは良いものの圧倒的な語彙不足を実感する試験だった。英語を勉強してきてもう何年にもなるけど、その過程で克服すべき課題や弱点は何度も変わってきた。この試験で今後しばらくは語彙力の強化に焦点を当てる必要があることを実感。そういえば、大学時代の通訳法の恩師、曽根っちは大学生の時に1級を取得したとおっしゃってたな~。そう考えると悔しい。俺ももう少し真面目な学生時代を送っとけば良かったなー。


まぁいずれにせよ、英検1級を持っていたとしても、通訳や翻訳の業界では「だから何?」というレベルでしかないので、これに驕らず今後も精進していきます!

2014/07/14

帰国しました

報告が遅くなりましたが、去る7月2日にオーストラリアでの2年のワーホリを終え、日本に帰国しました。

本当はオーストラリア滞在中に帰国の報告をしたかったのだけど、帰国一ヶ月ほど前から西オーストラリア(と一部の南北オーストラリア地域)をぐるっと車で一周するロードトリップに出かけていたため、なかなか記事を書く時間が取れなかった。
出発する前は旅行をしながら途中の様子を写真付きで記事にできたらいいな~と思っていたのだけど、旅先のほとんどの地域でネットが利用できなかったうえに、携帯の電波も圏外。それだけならまだしも、走行距離10,000kmの全てを俺一人で運転していたから、正直体力的にも精神的にも余裕がありませんでしたw

なので、今更ではあるものの、ここで旅先で撮った写真をちょこっと公開。

この地図はロードトリップの記録。思い出せなくて印をつけてない場所も多いけど、大体こんな感じで西側を一周した。

My Road Trip in Down Under! | My new trip on Roadtrippers.com!












オーストラリアでは色んな事を学んだ。こんなに長い期間海外に住むのは人生で初めてだったし、英語圏を訪れるのも人生初だったから目に映るもの全てが新鮮で、気付かされることも多かった。大学時代には、地元沖縄を離れることで本土と沖縄の違いについて考えることができたけど、今回は日本を離れたことで日本の良い部分と悪い部分の両方に気づかされ、それらを客観的に観察することができたと思う。
またオーストラリアや日本だけじゃなく、同じワーホリで他の国からやってきた人たちと触れることで、彼らの人間性もよく知ることができた。特に台湾人と触れ合う機会が多く、彼らの異常なまでの優しさにはいつも驚かされっぱなしだった。友達も多くできたし、いつか台湾に行きたいな~。

今後は3ヶ月ほど沖縄に滞在して、家族や祖父母としばらく時間を過ごしたいと思っています。オーストラリアに旅立つ前に会うことができなかったため、帰郷するのは3年ぶり。本来は早速次に向けた行動を取るべきなのかもしれないけど、そろそろ祖父母や母親に会うための時間を作るべきかと思い帰郷した次第。
このタイミングで沖縄に帰らなかったら次にいつ会えるか完全にわからないし。まぁ、長い人生のたった3ヶ月ぐらいは親孝行に費やさないとバチが当たるよな・・・。そう考えると3ヶ月じゃ短いか!?
沖縄で時間を過ごした後は、内地に戻って通訳となるための次のステップを踏みたいと思っています。

ということで、ひとまず帰国のご挨拶です。内地に戻ってまた友人・知人・先輩方に会えるのを楽しみにしています。

2014/02/03

邂逅その5:天音さん&ティムさん


ユジンと再会したその翌日には天音さんと再会、そして旦那さんのティムさんとも初対面。天音さんは俺がオーストラリアに旅立つ直前に日本に帰国されていて、ツイッターを通した通訳者・翻訳者関連のイベントでお知り合いになった。オーストラリアで会おうね、と優しく声をかけてくださり、天音さんの方から電話番号を渡してくれたのだけど、オーストラリアに着いてブリスベンで生活を始めてからも、メルボルンに住んでいた天音さんとの距離が離れていたこともあってなかなかお会いする機会に恵まれなかった。

東海岸のブリスベンから西オーストラリア州に移ってからはますます距離が遠ざかったため、もしかしてこれは会うことのないまま日本に帰国することになるのかな・・・と思っていたのだけど、天音さんがパースに引越しをされたおかげでついに再会を果たすことができた。一年半ぶりぐらいかな?「あんたちょっとは連絡しなさいよ!」と会ってすぐに軽く怒られたw いやー俺普段からあんまり人と連絡とらないんですよ。許してください笑

パースに引越しをされてから数ヶ月は経っているようで、既にパースの街を色々とご存知の様子。クリスマスにお会いしましょうと希望の時間を伝えるとテキパキと食事と待ち合わせの場所を提案してくれました。いつもFacebookで旦那さんのティムさんと美味しそうなハンバーガーやらコーヒーを堪能されている写真を見ていただけに期待感MAXで待ち合わせの場所に向かったのだけど、案内してくださった場所は期待を裏切らない洒落乙レストランでした。料理も最高!

旦那さんのティムさんはFacebookで写真に写っているのを何度か見たことはあったのだけれど、お会いするのは今回が初めて。お会いする前は若干緊張していたのだけれど、実際に話をしてみるととても気さくなジェントルマンでした。俺の英語も通じたみたいで良かった・・・。

食事をご馳走になっただけでなく、次にパースに来る時はうち家に泊まりに来なよ!とまで言ってくれた!まだ2回しか会ったことがない他人にそこまで親切にしちゃっていいのかー!?と驚きつつお礼を言いました。・・・次にパースに行く際はその好意に甘えたいと思いますw

天音さん&ティムさん、ありがとうございました!




2014/02/01

邂逅その4:Kim Yujin

ある日突然、韓国人の友人Yujin(ユジン)からFacebook経由で連絡が届いた。パースから車で2時間程の町に俺が滞在していることをFacebookで知った彼女が、クリスマスの休暇はオーストラリアのパースで取る予定だから時間が合えば会おうよ、とメッセージを送ってくれた。おかげで、3年ぶりの再会が実現した。最後に彼女と再会したのは、大学卒業旅行時に韓国を訪れた時だった。まさかオーストラリアで彼女と会うなんて・・・と、突然の連絡と再会に世の中の狭さを感じた。
 彼女に初めて会ったのは6年前の2008年。地元沖縄で開催された児童向け国際演劇フェスティバル「キジムナーフェスタ」に通訳ボランティアとして大学から派遣されたのがきっかけだった。ボランティアとしての役割は、予め各劇団の来沖前に日本人の職人たちが設営した照明などの舞台装置の最終調整にあたり、実際に劇を披露する各国の劇団と職人たちの仲介役としてサポートするというもの。

彼女は日本・イギリスの・韓国の劇団が共同制作した朝鮮戦争をテーマに扱った「ザ・ブリッジ」という作品の上演のために劇団と共に来沖していて、韓国人の役者や技術スタッフのサポートとして韓英の通訳を務めていた。劇団側のカウンターパートという感じで、彼女とコミュニケーションを取りながら仕事をすることが多かった。
大学生活を通してキジムナーフェスタには計3回通訳として参加したのだけれど、ボランティアベースとはいえ、通訳という仕事の一端を実際の業務を通して知ることができたため、この経験は大学時代の中でも一番記憶に残っている。3回の参加を通して多くの劇団と交流する機会があったのだけれど、その中でも「ザ・ブリッジ」のメンバーとの仕事が一番濃い内容で心に残っている。
右から二番目が当時のユジン。オーストラリアで会った時にはとても大人っぽくなっていた。
ユジンらその他の韓国人メンバーはフェスタ終了後も数日沖縄に滞在していたため、首里城と牧志公設市場を案内してあげた。

こういった体験を通した出会いは大抵が一期一会に終わるものだが、ユジンとこうしてその後も交流を続けられているのは素晴らしいことだと思う。そして、こうして彼女と数年毎に再会できているのが自分でもちょっと信じられない。しかもオーストラリアで偶然の再会。

彼女は現在マレーシアの公立語学学校で韓国語教師として教鞭を執っていて、もうすぐ帰国するらしい。その後はまた演劇の世界に身を置いてやっていきたいとのこと。次はいつどこで会えるのだろうか。いやーまさかオーストラリアで再会を果たすなんてまったく予想していなかったから驚いた。ほんと、世の中は狭い。次はどこで彼女と再会するのだろうか。

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