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2013/03/29

香港人&台湾人の暇つぶし


韓国人の花札を目撃したのはつい数日前なのだが、実はそれよりもっと前、今のホステルに来て二日目ぐらいに目撃したのが彼らの麻雀だったwまさかオーストラリアで麻雀牌を見るなんて・・・と最初はビビった。花札以上にビビったwていうかお前らどこで一式ゲットしたんだよ・・・まさかわざわざ自分の国から持ってきたのか?と聞いてみたらパースで$80(¥8,000ぐらい)で購入したそう。結構な金額だと思うんだけどw

麻雀を知ったのは小学校高学年の頃に読み始めた「勝負師伝説 哲也」だったのだが、この漫画のせいで麻雀はイカサマをするのが普通のゲームだと長いこと思っていたwこの漫画を読んで知っている程度だから、役や牌の名前その他(ポン・チー・カン)を単語として知っているだけで、具体的なルールは全く知らない。楽しいゲームなのは間違いないはずだから、ルールを覚えて挑戦してみたいのだけど・・・。麻雀をやる友人は周囲に全くいなかったために覚えるきっかけが全く無かった。おかげで韓国式花札の時と違って、彼らの麻雀を眺めていても日本のルールとどんな違いがあるのか皆目見当がつかない。うーん残念。本気出せばネットゲームで勉強できそうではあるけどw

囲碁・将棋もそうだけど、頭を使う卓上ゲームは判断能力を磨く良い訓練になるだろうな~。大局観と呼ばれるこの直感的思考能力は人生に役立つといっても過言ではないはず。


楽しそうだなーいいなー。ルールを覚えていつか鷲巣麻雀をやるのが俺の夢の一つw

そう言えば、沖縄にはツバメ返しができる凄腕の雀士がいるので紹介しておく。

韓国人の暇つぶし

ある日の夜、韓国人たちがある遊びに興じているのを発見した。それを見た俺は驚いた!
なんと花札をしていたのである。「韓国人も花札を知ってるのか!」と尋ねると、これまたびっくり、「花札は日本のゲームで、韓国に輸入されてるんだよ」とのこと。知らなかった・・・!!話を聞いてみると、韓国の若者はほとんどルールを知っていて、誰でもできるらしい。花札が出来る若者は日本にはあまりいないんじゃないか・・・?
俺が花札を覚えたのも、子どもの頃に毎年正月に母親にいやいや引きずられるようにしてやんばる(沖縄中北部)にある瀬底島の祖母の家を訪ねたせいだった。島内には個人経営の売店が2店舗と小学校があるだけで、娯楽は何もなく、更にその島は本島と橋で繋がった集落であるため、子どもの頃の俺にはまさに監獄のような場所で、死ぬほど退屈であった。

退屈なのは子どもだけではなかったようで、帰省中の親族みんなで花札をやるのが習慣のようになっていた。徹マンならぬ徹ハナで早朝までやることもしょっちゅうで、祖父の通夜の際にも棺の横で花札をやっていたのをよく覚えている。
最初は俺も見ていただけだったのだが、門前の小僧習わぬ経を読む、で自然と覚えてしまった。といっても2人用のこいこいよりもっと単純な花合わせの亜流の用なルールを一回4人でやっていた。

韓国人たちの花札のやり方を観察してみると、ルールはこいこいに似た「ゴーストップ(Go Stop)」というルールが主流のようで、上がりに必要な役を揃えた際にこいこいするかしないかをGoまたはStopで宣言する。ただし、ジョーカーやボーナスカードと呼ばれる特殊なカードがあったり、自分の札と場の札を合わせた後で山札から同じ種類の札を引いてしまった場合は自分の札として獲得することはできず、場に3枚1組として置かなければならない、などよりゲーム性の高いルールになっている印象。

韓国の花札は短札の「みよしの」「あかよろし」がハングルになっていたり、20点札全てに「光」の文字が入っていたりと、日本の花札と微妙に絵柄が違っていて面白い。

韓国式花札を覚えて彼らと勝負してみたいと思ったので軽く教えてもらった。ルールはそこまで難しくはないものの、役作りの戦略の立て方が違っているため慣れるのに時間がかかりそうだ。「iPhoneのアプリがあるからそれで勉強しなよ!」と教えてもらったので、目下勉強中である笑


こういう些細な発見と驚きも旅の醍醐味なのかもしれんな。こんな形の交流も面白い。

2013/01/05

邂逅その3:国吉高宏


いつもと変わらない日常感満載だったここオーストラリアで年越しを迎えたわけだけど(明けましておめでとうございます)、年明け早々にミラクルとも思える再会をゴールドコーストで果たしてきた。彼の名は国吉高宏(くによしたかひろ)。金持ち一家のドラ息子として地元の仲間の間では有名な男で、小学校時代に頻繁に遊んでいたのだが、俺を含む地元仲間の多くが校区内の中学校に進学する中、彼は県内屈指の進学校として名高い沖縄尚学(中高一貫校)に進学しお互い別の道を歩んだことで、お互いに長いこと連絡を取っていなかったのであった。沖縄尚学は甲子園優勝を果たしたことのある高校だからご存知のないちゃーも多いはずだ。

牧歌的、アホアホで脳内お花畑な馬鹿笑いに満ちた小学校6年間を共に過ごしてきただけに(少なくとも俺の6年間はそうだったぞ)、一緒にガハハ笑いを共有してきたアイツが沖尚(おきしょう)に進学したという当時のニュースはまさに青天の霹靂といった感じで、「え、一緒にバカやってきたのにお前は沖尚・・・?俺取り残され、え・・・?」と軽いショックを覚えた同級生は俺だけじゃなかったはずだ。実際、沖尚に進学したのは学年でも2,3人で、その中の一人が彼だったとは他の友人たちも想像できなかったはずだ。俺も卒業後に知ったしね。

そういう事情があり、そして彼のズボラな性格もあり、小学校卒業後彼は同級生の誰一人とも連絡を取ることがなく、会うことも一切なかったそうだ。狭い沖縄で誰とも会わずに過ごすことなんてできるんですねえ・・・。彼は引越しもしてなかったのに。

そして時は流れ、俺は彼のその後を知ることのないまま、高校卒業後内地(千葉)へと旅立ち、大学生になり、社会人になり、会社をやめることになる。その間の何度かの帰郷でも地元の友人から彼の噂を聞くことは一ミリたりとも無かったのであった。その間12年である。

そんな現実世界の広さを一気に狭めたのが、誉れ高ければ悪名も名高いアノ超巨大SNS、そう、
F a c e b o o kである。
ワーホリでオーストラリアに渡航する直前、いや渡航した後だっただろうか、彼の名前が「知り合いかも?」の欄に出てくるではないか!リアルでの人間関係の延長でしかないFacebook上で現実の上っ面な関係の人まで友達にしてしまうと、その距離感のせいでお互いに変な気を遣い合ってめんどくさいことこの上ない。そのことを知っていたため、リアルで大した関係の無い人ばかり提案してくるこの機能は殆どいつもチラ見でスルーがJK(常識で考えて)だったのだが、この時ばかりは「この機能もたまにはやるではないか!」と賞賛しきりであった。そう言えば高校時代の恩師にもこの機能のおかげでFacebook上で再会できたような気が。早速メッセージを送り、まずはネットでの再会を果たした。
ここにヤツの名前が現れたのである

そしてここがまさにミラクルなのだが、なんと俺に遅れて2ヶ月後に同じワーホリで同じオーストラリアに行く予定だと彼が言うではないか!しかも俺が滞在するブリスベンから電車で気軽に行けるゴールドコーストに。なんという時の巡り合わせだろうか。まさに「僥倖っ・・・!僥倖っ・・・!!」状態である。いくつかのやりとりを経てオーストラリアでの再会の約束を交わし、俺は彼の渡豪を待っていた。
それにしても、オーストラリアに来てからというもの、奇縁とも思える出会いが多いように感じる。今のバイト先にも、うちなーんちゅの、しかも母校の那覇商業高校で一学年上だった先輩が働いているし、先日旅行で訪ねてきた家族連れのお客さんなんかは、よくよく尋ねてみると千葉の自宅のすぐ近くに住んでらっしゃる農家の方であった。本当に、人生どこで誰と出会うのかわからないものである。まさに邂逅である。

そんな運命的とも思える感覚を抱きながら、ついに12年の時を経て彼との再会を果たした。異国の地、オーストラリアで。昔からいつか会いたいとぼんやり思い続けてはいたが、まさかそれが異国の地で実現にすることになるとは夢にも思っていなかった。3ヶ月間のワーホリ生活で語学学校に通いながらサーフィンを覚えた彼は日に焼け、俺以上にこちらでの生活を漫喫しているようであった。12年の時を経ても彼の良い意味でバカっぽい、陽気な雰囲気が変わっていないことに再会と郷愁の喜びを感じ、また長い内地生活でいささかすれて皮肉屋な人間になったであろうこの俺にあの頃と同じように接してくれたことに安堵した。


再会の瞬間。待ち合わせ場所に高宏が現れ、100mの距離をお互いに歩み寄っていく。まだ顔は見えない。カメラを向けるとポーズを取る高宏。相変わらずのアホアホっぷりが確認できた瞬間。

地元仲間の誰もが知らなかった彼の12年間の過去を聞いてみると、中学・高校時代にはサッカーとバンドに明け暮れたり、反抗期で何度も家出を重ね元ボクサーの父親にボコられたり(沖尚の生徒なのにw)、高校卒業後は琉球大学(県内唯一の国立大である)に進学したり、そんな父親の足跡をたどるようにプロボクサーになったりと、リア充なのか何なのかわからない濃い人生を送っていたようだw反抗期の話なんかはちょっとうらやましかったなぁ。話を聞くに、彼の母親は大変な思いをしただろうけど、俺はチキンでそんなことできなかったし。反抗期らしい反抗期が無かったから今の俺は性格がひねくれてるんだろうな・・・と考えさせられたり。とにかく彼は昔のイメージと変わらない12年間を送っていたようだ(笑)しかしそんな性格が災いしたのか、再会の前日(大晦日である)に彼はサーフィンで5針を縫う怪我を脚に負っていた。バカやな・・・w

 
そして、元々その予定は無かったのだけど、折角ゴールドコーストに来たのだから、ということで海で泳ぐことに。脚の包帯をさすりながら涙目で海を眺める彼を尻目に一人ゴールドコーストの海を初めて漫喫したのだけど、とても楽しかった。こっちに来てからは勉強に集中しようと外で遊ぶことは控えるようにしていたのだけど、たまにはいいものだなと感じた。特に12月は色々あって気分の滅入る日が多かっただけに、最高の気分転換になった。家に閉じこもって自分の世界に浸りすぎていたのかもしれない。浜辺に寝転んで身体を日に焼きつつ空を見上げながら自分自身を客観的に見つめてみると、旧友との再会を果たし、世界有数のビーチに寝転んでいる今の自分はこれまでにない自由を謳歌しているのだという事実に気付かされた。二年後の自分がこの地でこんなことをしているなんてことは四ッ谷で働いていた当時の自分には全く想像できなかっただろう。その時には得られなかった最高の自由を今手にしていて、だからこそ意義あるものにしなければならないというとても重要なことを再認識させられた。
1年目のワーホリ期間ももう折り返し地点。年明けと同時にこのことに気づけて良かった。たまには気分をリフレッシュさせるのも悪くないな。

12年越しの再会はとても楽しかった。彼とは今後行動を共にしようかと話をしている。再度気合を入れなおし、ワーホリ1年目の後半戦に臨みたい。

2012/11/11

バイト先の同僚のグチを聞いて学んだこと

今は某レストランで働いているのだけど、先日、バイト上がりに先輩と一緒にカフェに行って先輩の漏らすバイトのグチをたっぷり聞いてきた。・・・と、こういう風に書くと、タイトルを見て「あーグチ聞くのつらかったー」とか、「グチを言うのは良くない」みたいな展開を想像するかもしれないけど、そうではない。むしろ彼女の話を聞くのは凄く面白かった。これは彼女がこの記事を見るかもしれないから保険のために楽しかったと書いているわけではなく、本当に面白かった。興味深かったというべきかな。恐らくグチを語った彼女自身は、「あかし君にグチを語り尽くした」みたいに、もしかしたら申し訳なくすら思っているかもしれないけど、俺としては、他に誰もいなかった店内に何時の間にかお客さんが溢れているのにも気づかなかったほど楽しい時間だった。そして、この時間を振り返ってみると多くの学びに満ちていることに気づいたため、こうして記事に残しておくことにした。念のため、これから記す内容について彼女をディスる意図は一切ない。むしろ彼女はとても魅力的な人で、バイト中にはいつも助けられてます。

1. 誠実に生きることの大切さ
この日カフェで彼女のグチを聞くことになったきっかけは、バイト中に彼女がイラっとさせられたあるちょっとした対立だった。些細なコミュニケーションの食い違いで別の同僚との小さな対立が生まれ、そのおかげで彼女はイライラしてしまい、彼女と同時に勤務が終わった俺にその時の様子をグチとして語り始めたのだった。彼女は対立したその人物について、カフェに着く前から日頃気になっていたアレコレを個人的エピソードと共につらつらと勢いよく語っていったのだけど、その話を聞いて、俺自身が抱いていたその人物に対する印象と彼女のそれとで、真逆に近いほど違っていることに驚かされた。既に想像出来るとおり、彼女のその人物に対する印象(≒評価)は、日頃から溜まっていた鬱憤もありあまり良いものとは言えない。かたや俺が抱いていた印象というものは、よく冗談を言う気さくで接しやすい人物、というものだった。数年働いていて職場の面々についてよく知っている彼女が語る件の人物像というものは、このバイト先に入ってまだニ、三ヶ月足らずの自分にはとても具体的で、自分の知らなかった二面性を覗かせてくれる意外性に満ちたものばかりで、自分の抱いていた印象とのギャップを楽しむかのように、「へ~!」と、感心に近い嘆声が終始止まらなかった。

彼女の話に耳を傾けながら、この感覚は会社員時代にも味わったことがあるな、と思い出していた。ある役員の評価について、ある課の社員たちは「Aさんは凄い。あの人はいざという時はキチッと責任を取ってくれる。役職付きはこうでなくちゃ。」と口を揃えていたのだが、別の課の飲み会に参加してみると、「あの人はダメだよ、責任丸投げ。」と、まるで逆のことを聞かされ、ひどく驚いた。同じ一人の人間でしかも会社という同じ組織の中にもかかわらず、相手によってこうも評価が変わるものなのか、これじゃあまるで別人の話じゃないかと耳を疑うほどだった。人の評価は評価者によってマイナス100からプラス100まで変わってしまうのだということを肌で感じ、彼女のグチの内容は会社員時代に得たその教訓を思い出させてくれた。

言い換えればつまり、俺の発言や行動も、人によってプラスに評価されることもあれば、マイナスに評価されることも当然ある―いや、既にその二つのジャッジを常に同時に下され続けているだろう、ということを彼女の話に気づかされた(当たり前ではあるけど)。その状況で大切なのは、自分自身、あるいは周囲の存在、もしくは組織や社会全体にとって良いことは何かを常に考え、変に媚びへつらったり何かをてらったりすることなく誠実な態度を見せることだろうなんだろうなと感じた。人によって評価の基準は異なる。プラスに評価してくれる人がいるということは、マイナスに評価する人も当然いる。自分を取り囲む周囲の人数が多ければ多いほど、全員にプラスの評価を下してもらうことは難しくなる。そのような状況で打つ芝居や虚飾の言葉は一瞬でバレてしまい、信用を大きく失う。ならば、たとえ自分の言動が一部の人の反感を買うことがわかっていたとしても、自分が正しいと思う限り、誠実に、正直に伝え振舞うことが大事なんだろうな、と考えさせられた。

常に誠実に生きることは難しいだろう。組織や社会のしがらみでの中で生きていれば、時には日和見的に振舞ったり、八方美人や面従後言でいる方が良い場合もあるかもしれない。それに、人間の悲しい性か、常に聖人君子然としている人は逆にどこか嘘くさく、人間的魅力に欠けて見えてしまうことも少なくない(だからこそグチを吐く彼女という存在について、俺は魅力的な人間だと感じているのだろう)。所詮は綺麗事かもしれない。しかしまぁ、そんな小難しいことは抜きにして、誠実に生き、そして周囲から誠実な人間だと思われたいなぁ、ということを耳を傾けながら思った。

2. 昔に比べて大人になった
こんなことを言うとキザっぽく聞こえるかもしれないけど、彼女のグチを2時間聞いた自分をハタと振り返ってみると、昔・・・特に大学時代の自分と比べると随分大人になったなぁと思う。昔は人のグチを聞くなんて行為は究極の時間の無駄としか思ってなかった。当時の自分なら、グチの止まらない彼女をコーヒーへと誘ったりなんて絶対してないだろうなぁと思う。昔と違って、今は何というか、自分とは無縁の世界にももっと興味を持つようになったというか、自分との接点の見えない他者やその人の話にも興味を持つ精神的余裕を持てるようになったと思う。大学時代や会社員時代の頃は、興味に自覚的な人や話題にしかコミットしなかった。自分が好きか嫌いか、興味があるか無いか、あるいはメリットがあるかどうかなど、損得を考えた人(モノ)付き合いしかできない節があった。だから、仕事が終わった後などの友達からの急な「今から会えない?」とかの連絡も、ホントは家に帰っても何もする予定がないにもかかわらず、「あー今日は忙しいから無理だわごめん」とか嘘ついたり。ある意味正しい選択でもあるのだけどね、場合によっては。今は、一見無駄に見えることに対する時間の投資にいくらか重きをおくようになった。以前よりセレンディピティー(思わぬ収穫)をいくらか重視するようになったというか、「期待はしないけど結果的になんかあったらラッキーだな(・∀・)」という視点で外の世界と関わりを持つ余裕が生まれるようになった。無機質で高尚な言い方をすると、ボランティア精神に芽生えたというかwこんな書き方をすると誤解されそうだけど、他人の話を聞くことが無駄だと思っているわけではないです。かつてはそう思っていたけど、今は利の見えないことでも楽しもうと思えるになった、という話です。

こういう風に自分の振る舞いや思考の変化を見つめ直すと、ある程度、こんな自分でもそれなりに成長したんだろうなぁと思う。でも、俺の中でなんとなく、「成長すること=大人になること=老けること」っていう変なイメージがあって、「年を重ねて肉体が衰えてもいつまでも童心を忘れずにいたい」と願う逆コナン志望の自分としては、自分のこの成長はとてつもな~く激しい精神的老化現象のような気がして、素直に喜べなかったりする。だから、どっちかというと「昔に比べて成長したなぁ。」というよりも、「昔に比べて老けたなぁ俺も・・・。」みたいな諦観たっぷりの捉え方の方が大きい。実際、実年齢より年上に見られることが多いしね。「なんだか落ち着いてるね」と言われることはよくあるし(会社員時代にも、今のバイト先でも言われた)、この前なんて、バイト先の上司に連れられて行った夜のカラオケでは、パスポートを見せた入り口の店員に「お前ホントに25か?」と驚かれた。「そんなに老けて見えるのかよ!?」とツッコんだら、「いや横にいるツレ(40代)が若く見えるんだよふがふが」と必死に弁明しておりました。
実際のところ、こういう思考が雰囲気に滲み出ていて、それが老けた印象を与えてるのかも・・・という予想もできるんだけど、でも、ここや以前のブログで述べてきた諸々の考えは、一応ハタチを超えた大人なんだし、周りの友人や同世代の人々も持ってるごくフツーの思考のはずで、決して達観したものではないはず。・・・じゃあ何で俺だけ老けて見えるんだよ?とまた振り出しに戻る。自分という人間を理解することは難しいですね。・・・白髪が多いからか?w

3. グチ話がグチ話で終わるかは聞き手次第なのかも
「嫌なことがあったから友達にグチを聞いてもらってガス抜きをする」という行為は、「聞き手は我慢して相手の話に耳を傾け、ストレスを相手から吸収する」という助け合いのカウンセリングのようなコミュニケーションだと思う。実際、何人もの患者の悩み相談を受けるプロのカウンセラーはストレスを溜めやすく、心の健康を崩しやすいそうだ。けど、最初に書いたとおり、彼女のグチ話を聞いたあの二時間は楽しく、むしろグチ話を聞かされたという感覚すらない。もしかしたら、グチ話がグチ話に終わるかは聞き手のコミュニケーション能力次第なのかも、と思った。

以前はグチを聞くのは究極の時間の無駄だと思っていた―ということを上に書いたけど、その若かりし時代(笑)には、男性と女性のコミュニケーションは全く別物で、男性のコミュニケーションが「見栄と競争」であるのに対して、女性のコミュニケーションが「共有と共感」であるということを経験として理解していなかった(それぞれ俺の勝手な定義です)。たとえば男性の場合は、「どちらがより優れているか」という動物的本能が常に潜在意識にあるので(と俺は解釈している)、自分の印象が悪くなる話(失恋、トラウマ、失敗談などなど)は、よっぽど仲の良い相手以外には語らない。笑い話になるレベルの話は別として。そのため、往々にしてプライベートな話(特に過去の話)はお互いにほとんどしない。悩み相談もしない。なぜかというと、「こんな悩みがある」ということを相手に告白するということは、自分の欠点や弱点を相手にさらけ出すことになってしまうから。実際、俺も男友達は沢山いるけど、彼らの家族や昔の彼女にまつわる話など、俺と出会う前の彼らの過去は全く知りません。極論すると、今の彼らを作り上げている過去のことは何も知りませんw 女性からすると上っ面の関係に見えてしまうかもしれない。どこか切った張ったの世界がある感じ。

ところが、女性の場合は自分の内側をどんどんさらけ出してお互いに共有し、その話に全員が共感することで連帯感を高め絆を深めるコミュニケーションを取る(だよね?)。そこが本質なので、実際には相手の意見はどうでもよく、とにかく共感するのがルールみたいなところがある。女子会とかも、男性がその場にいては言えない暴露話を共有し、「こんなことを共有してるウチラってマブダチだよね!」と確認する場として機能しているのではないかと思う。「新しい服を着ているのに気付いたら可愛いと言わなければならない(たとえ似合ってないと思っていても!)」という女性特有のルールはこの共有と共感のコミュニケーションの好例だと思うのだけど、これは男性にはとても滑稽なもので、そこが男性にとっては上っ面な関係に見える部分。お互いにグチを話すという行為も女性のコミュニケーションをよく象徴しているなぁと思う。実際、男性はお互いにグチ話をしないしね。それはやっぱり自分の弱点を晒すことになるから。

・・・と、前置きが長くなったのだけど(偉そうにこういうことを書くとディスられそうw)、男性と女性のこのコミュニケーションの違いを、当時は理解していなかった。だから、グチ話や悩み相談をされる時も、「ただ話を聞いて頷いて欲しい」「背中を押して欲しい」ということを相手が望んでいると知らず、理路整然と自分の意見(時には相手の考えを否定したり・・・もちろん相手のことを思って)を述べてしまい、結果的に何も変わらない相手を観察して「俺が割いた時間は無駄だったじゃねーか!」と思ってしまっていた。コミュニケーションのチャネルが一致していなかった感じ。だから、当時は「グチなんて話す暇があれば行動しろ」とか「どうせ何も変わらないんだから鏡に向かって話しとけばいいのに」みたいな結構酷いことを思っていたw

けど今はある程度大人になった(笑)ので、女性のコミュニケーションが「共有と共感」であることを知っている。今は女性の話を聞く際には自然とチャネルを切り替え、相手から求められない限りは極力自分の意見や解釈を述べず、ただ相手の話に傾聴する―ということができるようになった(昔よりはね)。そのおかげで、「この人はどんなことでどんな反応をするのだろう?」と、相手の話から透けて見える価値観を知る楽しみを覚えるようになった。そして、このコミュニケーション方法によってその人物のことをより深く知ることができるようになる、ということを体系的に理解できるようになった。このことに気付いた時から、昔に比べて自分の話で会話を独占することが少なくなり、そして上に述べたように他人やその人の持つ話に興味を持つことができるようになった。だから、彼女のグチもただ単にグチではなく、彼女という人間の中の一つのコンテンツのような感覚で楽しめたんだと思う。グチ話に対して「あーしんどかった」とか「この前はグチを聞いてもらったから今回は聞いてあげなきゃね」みたいな感覚を持つかどうかは、聞き手のコミュニケーションに対する考え方と、そして会話中のちょっとしたテクニックにかかってるんじゃないかな、ということをこの時間を振り返って思った。

あっという間に過ぎた二時間だったけど、振り返ってみるとこれだけの示唆に富んでいた。これもセレンディピティの賜物かな?w


―セレンディピティは、偶有性の海の中にある
http://matome.naver.jp/odai/2135172458847154701

2012/07/03

感謝感謝ってあんまり言いたくないんだけどさぁ・・・

「出発前に記事書くよ!」と散々言いふらしてたくせに、初の海外長期滞在ということもあって部屋の片付けが遅々として進まなかったせいで(80Lのバックパックじゃ入れたいものが全然入らん!)、結局出発前に記事を書くことができなくなってしまった。みんな、ごめんw 今、この記事は成田空港行きのリムジンバス・・・とジェットスターの機内で書いてます。でもよく考えると、これってかなりノマドですね。前のブログでも記事は殆ど外出先で書いていたけど、今後はこれまで以上にノマドを実践していくことになりそう。楽しみ。
タイトルのことなんだけど、俺は性格がひねくれた人間だから、感謝の気持ちを普段からしょっちゅう言いまくってるような人間には、どうしても「言うほど感謝してねーだろ!」と心の中で思ってしまう。なんか、その言葉を口に出して言えば言うほど安っぽく聞こえるんだよね。だから、今の自分が周囲に対して抱いているこの感謝の気持ちを客観的に考えると、そんな自分の性格との矛盾に嫌でも気づかされて自己嫌悪に陥ってしまう。「みんなありがとう!でも悔しい・・・!ぐぬぬ///」みたいな笑。 煩悶している。 それぐらい、日本を離れる気持ちを固めてから今日に至るまでの間に、数えきれないぐらい、今の自分が多くの人や状況に支えられているということに気づかされた。その事実と気持ちをまず最初にこのブログに書いておかないと、きっとダラダラ過ごしてしまうし、これだけの支えに感謝の気持ちを述べておかないのは最低だ。・・・ああ、だんだん嘘っぽく聞こえるw

1. 通翻クラスタの先輩たち
ツイッターを通して知り合うことができた、通訳者・翻訳者、コーディネーターのみなさん(通称通翻クラスタ)。人生の先輩たち。勇気を出して飛び込んだオフ会をきっかけに、リアルでの関係にまで発展させていただけた。彼らは同業者たちとの交流や情報交換を基本的な目的としてツイッターをやっているから、本来はプロでもないただの小僧の俺なんて相手にしなくても良いはず。むしろ時間の無駄でしかない。それにもかかわらず、いつも嫌な顔一つせずに、俺の無知な質問にも気さくに応えてくれる。俺がブリスベンやメルボルンに行く予定だと話したら、現地に滞在されている翻訳者を紹介してくれ、紹介いただいた方には「ブリスベンで通訳セミナーやるからおいでよ!」と誘ってもらったり、現地での携帯電話番号を手渡してくれた。

その上、つい最近はわざわざ俺のために(本当は違うかも・・・w)、スイーツ好きの女性翻訳者数名がスイーツ送別会を開いてくれた。「15時から仕事があるから途中まで参加します!」と忙しい中来てくださった方もいた。正直、「何でここまでしてくれるの?おかしい。」といつも思ってる。そう思うぐらい本当によくしていただいている。通翻クラスタの先輩たちは殆どがフリーランスだから、24時間、いつでも自分の裁量で好きな時に仕事をされている。つまり、逆の言い方をすれば仕事をしていない間は機会損失が発生している。わざわざそんなコストを支払ってまで、俺のあの長ったらしいブログを読んでくれたり、俺のために送別会を開いてくれたり・・・。

自分が目指している人生を走っている先輩たちにこんなに良くしてもらっている俺は、本当にラッキーだと思う。


メルボルン在住の@au_amanekoさんの一時帰国に合わせたホームパーティー。電話番号を頂いた。ブリスベンの丸岡さんにはSkypeでご挨拶させていただいた。「向こうでも通(翻)訳者に会えたらいいな・・・」と密かに期待していたから、旅立つ前からこうして繋がりを持てたことは嬉しい。


ホームパーティーの場でお菓子が好きだと話したら送別会としてスイーツ会(女子会)を開いてくださった。大人の女性の女子会に男一人(もはや男の子でしかないw)で参加したからちょっと緊張した笑
いままで同業者向けのオフ会に俺が飛び込む形で先輩たちとお会いすることは何度もあったけど、この時は俺のために、しかも彼女たちの方から企画して集まってくださったから、本当にびっくりした。ありがとうございます。


以前沖縄で活動していたことから、自ら「ねーねー」と名乗り姉貴分としていつも俺の面倒を見てくれるマミ姉さん。感謝してます。

2. 友人たち
友達たちも俺のために送別会を企画してくれた。俺はいつも、空気なんてものはある意味壊すために存在するものだと思ってるから、好き勝手な言動を見せてる。人より好き勝手にしてるから、その分人を傷つけるような言動も沢山見せてきたと思う。だから、こんな俺のために自ら幹事を買って出て会社員として忙しく働きながら送別会を企画してくれて、そしてそれに20名超も集まってくれたのは今でも信じられない。あの場でも、「みなさん今日来る場所間違ってませんよね!?大丈夫ですか?」と冗談で確認したほど。中には、数年前にたった一度mixiのオフ会で会っただけにもかかわらず、餞別を渡すためだけに予定の合間を縫って顔を出してくれた方もいた。ありえない。本当にありがとう。



そして、これは今でも理解不能なんだけど、なぜかみんなから山ほど餞別を貰った。なぜか花束までw 送別会をやるのはまだわかるけどさ・・・。別に俺結婚したわけでもなく、たかだか一年か二年日本を離れるだけなんですけど!?むしろ大学の友達の間では海外生活を送ったことのないやつの方が珍しいぐらいで・・・。なんかもうハードル上げられ過ぎてマジ怖い。花束を受け取った瞬間、「あ、これはもう下手な理由では帰れないな」と悟った。幹事のニッシー、ちりこ、そして来てくれたみんな、ありがとう。

3. 家族、母親、師匠、高校時代の先生
高校選びも、大学進学のために沖縄を離れることも、会社を辞めることも、そしてオーストラリアに旅立つことも、全部自分の意思で決断してきた。やりたいことや目標のために。これだけ並べてみれば、自分一人で人生をカッコ良く切り拓いているかのように見えるけど、それらを実現できたのも支援してくれた人たちがいたからこそ。通訳という世界を初めて知ったのは、あらかじめ学校から提示された選択肢を無視して、希望欄に「通訳・翻訳」と書いた俺のイレギュラーな紙を真面目に対処してインターンシップ先を探してくれた高校時代の先生のおかげだし、彼女が後に俺が師匠と呼ぶことになる通訳者に出会わせてくれた。そして、師匠を通して、通翻クラスタの先輩方と繋がりを持つことができた。
そうした全てに一切口を出さず、「あなたの人生だから」と見送ってきてくれた母親。今日、叔母の家から空港へ出発する直前の電話で「母親としては安全に生きてほしいけど、危険な道を選ぶのもあなたの人生だから、夢のために頑張ってね」と言われた時には涙が出そうになった。俺は決して生きているのではない。生かされているのだと思う。長年居候させてもらっていた叔母にも何度も迷惑をかけたと思う。一人っ子で片親で育てられたから、家事をすることを全く知らなかった。そのせいで何度イライラさせたかわからない。早く経済的に自立したい。自分のやりたいことでメシを食えるようになりたい。それがどれだけ難しいことか。俺はもっともっと努力しなきゃいけない。

4. 今のこの時代にこの年齢で生きているという事実
ツイッターやFacebookといったネットのサービスが登場し、ネットでも実名で行動することが当たり前になってきた今の時代。もちろん、メリット・デメリット両方あるけど、俺がこの状況から受けている恩恵は計り知れない。ツイッターがなかったら俺はマミねーねーをはじめとする先輩方と出会えていないし、師匠のことを師匠と呼んでいないだろうし、業界のことも今以上に知らなかった。IJETやJTF翻訳祭なんてイベントの存在も知らなかっただろう。今では、今日という時代のおかげでこうしたイベントを知り、参加することができているし、参加できない場合でも自宅からライブ中継を通して勉強させてもらうことができている。
俺が周りの友達たちにことあるごとに「ブログ書け!」とか「ツイッターでもっとガンガン自分から知らない人と絡んでいかないと!」と言っているのはこうした理由から。俺の周りにも、正社員の道を選ばずに目標のためにもがいている奴らが沢山いるから、こうした時代の流れを理解して積極的に活用して欲しいと強く願っている。俺たちは素晴らしい時代に生きている。しかも、30代でも40代でもなく、20代前半という年齢で。だから、俺は今のこの時代にこの年齢で生きているという事実に感謝している。理不尽な処遇に遭う可能性は限りなく希釈され、後は己の努力のみの世界になりつつある。

オーストラリア。ワーキングホリデー。期待ももちろんあるけど、不安も大きい。通訳者や翻訳者になるという目標を達成するために俺なりに考えて選んだ選択肢だから、今の自分に足りないものを獲得できると睨んで下したこの決断にはそれなりに自信を持っている。・・・けど、やっぱりそんなかっこいいこと言っても不安だよー! だって人生初の海外暮らしで一人ぼっちだし。色んな不安がある。特にお金。そういう気持ちが大きかったから、出発数日前には、色んな人に「もしたった一週間で涙目になって帰ってきたら、その時は何も言わずそっと俺を抱きしめてくれ」なんて冗談ぽく言ってた。今考えると、これは保身の言葉で、本当にそうなった時の逃げ道を作ろうとしていたのだと思う。
でも、今さらそんな根拠の無い不安についてうだうだ悩んでてもしょうがないんだと気づいた。もうこの日が来ちまったんだから、今日までの時間を後悔しても時間の無駄だ。あとは向こうでどうにかするしかない。やるしかない。でもその代わり、もし本当に、一週間後、あるいはたった一ヶ月で帰って来るようなハメになった場合には、そのこと自体を、胸を張って、決して卑屈にならず、笑い話として送り出してくれた仲間や先輩たちに報告できるようにしよう。そう思った。今のこの条件でベストを尽くして不安と闘うしかない。やれることは全部やる。それでも駄目なら、それでいいじゃん。やれることをやり尽くしたなら、きっとどう転ぼうが納得できるはずだし、堂々と帰国できるはずだと思う。それを実践するには、これまでの24年の人生で形成されてきたガキの貯金のようなプライドを捨てなきゃいけないだろう。

・・・多分、この考え方はきっと男として人生で重要な考え方で、今の俺に不足している部分じゃないだろうか。通訳、翻訳、英語に関係なく、このワーホリでは人生で大事な教訓にも目を向け、学びとっていきたい。 俺は色んな人や環境に支えられている。それらを裏切るようなことは絶対にしてはいけない。常に誠実でありたい。これから直面するであろう困難の過程で、くじけそうになったり、だらけそうになったりした時にそのことを思い出し、自分を奮いたたせるために、現地での活動を開始する前にまず先にこの記事を書いておきたかった・・・のだけど・・・ww

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