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2014/02/01

邂逅その4:Kim Yujin

ある日突然、韓国人の友人Yujin(ユジン)からFacebook経由で連絡が届いた。パースから車で2時間程の町に俺が滞在していることをFacebookで知った彼女が、クリスマスの休暇はオーストラリアのパースで取る予定だから時間が合えば会おうよ、とメッセージを送ってくれた。おかげで、3年ぶりの再会が実現した。最後に彼女と再会したのは、大学卒業旅行時に韓国を訪れた時だった。まさかオーストラリアで彼女と会うなんて・・・と、突然の連絡と再会に世の中の狭さを感じた。
 彼女に初めて会ったのは6年前の2008年。地元沖縄で開催された児童向け国際演劇フェスティバル「キジムナーフェスタ」に通訳ボランティアとして大学から派遣されたのがきっかけだった。ボランティアとしての役割は、予め各劇団の来沖前に日本人の職人たちが設営した照明などの舞台装置の最終調整にあたり、実際に劇を披露する各国の劇団と職人たちの仲介役としてサポートするというもの。

彼女は日本・イギリスの・韓国の劇団が共同制作した朝鮮戦争をテーマに扱った「ザ・ブリッジ」という作品の上演のために劇団と共に来沖していて、韓国人の役者や技術スタッフのサポートとして韓英の通訳を務めていた。劇団側のカウンターパートという感じで、彼女とコミュニケーションを取りながら仕事をすることが多かった。
大学生活を通してキジムナーフェスタには計3回通訳として参加したのだけれど、ボランティアベースとはいえ、通訳という仕事の一端を実際の業務を通して知ることができたため、この経験は大学時代の中でも一番記憶に残っている。3回の参加を通して多くの劇団と交流する機会があったのだけれど、その中でも「ザ・ブリッジ」のメンバーとの仕事が一番濃い内容で心に残っている。
右から二番目が当時のユジン。オーストラリアで会った時にはとても大人っぽくなっていた。
ユジンらその他の韓国人メンバーはフェスタ終了後も数日沖縄に滞在していたため、首里城と牧志公設市場を案内してあげた。

こういった体験を通した出会いは大抵が一期一会に終わるものだが、ユジンとこうしてその後も交流を続けられているのは素晴らしいことだと思う。そして、こうして彼女と数年毎に再会できているのが自分でもちょっと信じられない。しかもオーストラリアで偶然の再会。

彼女は現在マレーシアの公立語学学校で韓国語教師として教鞭を執っていて、もうすぐ帰国するらしい。その後はまた演劇の世界に身を置いてやっていきたいとのこと。次はいつどこで会えるのだろうか。いやーまさかオーストラリアで再会を果たすなんてまったく予想していなかったから驚いた。ほんと、世の中は狭い。次はどこで彼女と再会するのだろうか。

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