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2013/01/05

邂逅その3:国吉高宏


いつもと変わらない日常感満載だったここオーストラリアで年越しを迎えたわけだけど(明けましておめでとうございます)、年明け早々にミラクルとも思える再会をゴールドコーストで果たしてきた。彼の名は国吉高宏(くによしたかひろ)。金持ち一家のドラ息子として地元の仲間の間では有名な男で、小学校時代に頻繁に遊んでいたのだが、俺を含む地元仲間の多くが校区内の中学校に進学する中、彼は県内屈指の進学校として名高い沖縄尚学(中高一貫校)に進学しお互い別の道を歩んだことで、お互いに長いこと連絡を取っていなかったのであった。沖縄尚学は甲子園優勝を果たしたことのある高校だからご存知のないちゃーも多いはずだ。

牧歌的、アホアホで脳内お花畑な馬鹿笑いに満ちた小学校6年間を共に過ごしてきただけに(少なくとも俺の6年間はそうだったぞ)、一緒にガハハ笑いを共有してきたアイツが沖尚(おきしょう)に進学したという当時のニュースはまさに青天の霹靂といった感じで、「え、一緒にバカやってきたのにお前は沖尚・・・?俺取り残され、え・・・?」と軽いショックを覚えた同級生は俺だけじゃなかったはずだ。実際、沖尚に進学したのは学年でも2,3人で、その中の一人が彼だったとは他の友人たちも想像できなかったはずだ。俺も卒業後に知ったしね。

そういう事情があり、そして彼のズボラな性格もあり、小学校卒業後彼は同級生の誰一人とも連絡を取ることがなく、会うことも一切なかったそうだ。狭い沖縄で誰とも会わずに過ごすことなんてできるんですねえ・・・。彼は引越しもしてなかったのに。

そして時は流れ、俺は彼のその後を知ることのないまま、高校卒業後内地(千葉)へと旅立ち、大学生になり、社会人になり、会社をやめることになる。その間の何度かの帰郷でも地元の友人から彼の噂を聞くことは一ミリたりとも無かったのであった。その間12年である。

そんな現実世界の広さを一気に狭めたのが、誉れ高ければ悪名も名高いアノ超巨大SNS、そう、
F a c e b o o kである。
ワーホリでオーストラリアに渡航する直前、いや渡航した後だっただろうか、彼の名前が「知り合いかも?」の欄に出てくるではないか!リアルでの人間関係の延長でしかないFacebook上で現実の上っ面な関係の人まで友達にしてしまうと、その距離感のせいでお互いに変な気を遣い合ってめんどくさいことこの上ない。そのことを知っていたため、リアルで大した関係の無い人ばかり提案してくるこの機能は殆どいつもチラ見でスルーがJK(常識で考えて)だったのだが、この時ばかりは「この機能もたまにはやるではないか!」と賞賛しきりであった。そう言えば高校時代の恩師にもこの機能のおかげでFacebook上で再会できたような気が。早速メッセージを送り、まずはネットでの再会を果たした。
ここにヤツの名前が現れたのである

そしてここがまさにミラクルなのだが、なんと俺に遅れて2ヶ月後に同じワーホリで同じオーストラリアに行く予定だと彼が言うではないか!しかも俺が滞在するブリスベンから電車で気軽に行けるゴールドコーストに。なんという時の巡り合わせだろうか。まさに「僥倖っ・・・!僥倖っ・・・!!」状態である。いくつかのやりとりを経てオーストラリアでの再会の約束を交わし、俺は彼の渡豪を待っていた。
それにしても、オーストラリアに来てからというもの、奇縁とも思える出会いが多いように感じる。今のバイト先にも、うちなーんちゅの、しかも母校の那覇商業高校で一学年上だった先輩が働いているし、先日旅行で訪ねてきた家族連れのお客さんなんかは、よくよく尋ねてみると千葉の自宅のすぐ近くに住んでらっしゃる農家の方であった。本当に、人生どこで誰と出会うのかわからないものである。まさに邂逅である。

そんな運命的とも思える感覚を抱きながら、ついに12年の時を経て彼との再会を果たした。異国の地、オーストラリアで。昔からいつか会いたいとぼんやり思い続けてはいたが、まさかそれが異国の地で実現にすることになるとは夢にも思っていなかった。3ヶ月間のワーホリ生活で語学学校に通いながらサーフィンを覚えた彼は日に焼け、俺以上にこちらでの生活を漫喫しているようであった。12年の時を経ても彼の良い意味でバカっぽい、陽気な雰囲気が変わっていないことに再会と郷愁の喜びを感じ、また長い内地生活でいささかすれて皮肉屋な人間になったであろうこの俺にあの頃と同じように接してくれたことに安堵した。


再会の瞬間。待ち合わせ場所に高宏が現れ、100mの距離をお互いに歩み寄っていく。まだ顔は見えない。カメラを向けるとポーズを取る高宏。相変わらずのアホアホっぷりが確認できた瞬間。

地元仲間の誰もが知らなかった彼の12年間の過去を聞いてみると、中学・高校時代にはサッカーとバンドに明け暮れたり、反抗期で何度も家出を重ね元ボクサーの父親にボコられたり(沖尚の生徒なのにw)、高校卒業後は琉球大学(県内唯一の国立大である)に進学したり、そんな父親の足跡をたどるようにプロボクサーになったりと、リア充なのか何なのかわからない濃い人生を送っていたようだw反抗期の話なんかはちょっとうらやましかったなぁ。話を聞くに、彼の母親は大変な思いをしただろうけど、俺はチキンでそんなことできなかったし。反抗期らしい反抗期が無かったから今の俺は性格がひねくれてるんだろうな・・・と考えさせられたり。とにかく彼は昔のイメージと変わらない12年間を送っていたようだ(笑)しかしそんな性格が災いしたのか、再会の前日(大晦日である)に彼はサーフィンで5針を縫う怪我を脚に負っていた。バカやな・・・w

 
そして、元々その予定は無かったのだけど、折角ゴールドコーストに来たのだから、ということで海で泳ぐことに。脚の包帯をさすりながら涙目で海を眺める彼を尻目に一人ゴールドコーストの海を初めて漫喫したのだけど、とても楽しかった。こっちに来てからは勉強に集中しようと外で遊ぶことは控えるようにしていたのだけど、たまにはいいものだなと感じた。特に12月は色々あって気分の滅入る日が多かっただけに、最高の気分転換になった。家に閉じこもって自分の世界に浸りすぎていたのかもしれない。浜辺に寝転んで身体を日に焼きつつ空を見上げながら自分自身を客観的に見つめてみると、旧友との再会を果たし、世界有数のビーチに寝転んでいる今の自分はこれまでにない自由を謳歌しているのだという事実に気付かされた。二年後の自分がこの地でこんなことをしているなんてことは四ッ谷で働いていた当時の自分には全く想像できなかっただろう。その時には得られなかった最高の自由を今手にしていて、だからこそ意義あるものにしなければならないというとても重要なことを再認識させられた。
1年目のワーホリ期間ももう折り返し地点。年明けと同時にこのことに気づけて良かった。たまには気分をリフレッシュさせるのも悪くないな。

12年越しの再会はとても楽しかった。彼とは今後行動を共にしようかと話をしている。再度気合を入れなおし、ワーホリ1年目の後半戦に臨みたい。

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