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2013/04/07

日本の漫画・アニメはやはり最強だったの巻

「立ち読み」という文化
オーストラリアに来て4ヶ月目ぐらいのことだっただろうか。日本ではごく当たり前だったある習慣が失われていることに気付いた。それに気付いたのはふらっと本屋に立ち寄った時のことだ。そこで目にしたのは様々な英語小説と一緒に並ぶ日本の漫画の数々だった。英語訳された日本の漫画に真新しさを感じながら気付かされたのは、「そう言えばこっちに来て一度も漫画の立ち読みをしたことが無かったな・・・」ということである。偶然本屋に寄るまで気づかないほど、立ち読みという習慣はいつの間にか無くなっていたのであった。日本で立ち読みをする絶好のスポットと言えばコンビニだが、日本のコンビニと違い、オーストラリアのコンビニには漫画の置かれていないことが当たり前で、そのコンビニもそもそも日本のように気軽に立ち寄れるほどあちらこちらに点在しているわけではなく、市街にでかけなければ目にすることはあまりない。「漫画を読むために本屋に買いに行く」という明確な理由がない限り、漫画に触れる機会が一切無いのである。図書館にも漫画はあるが、新作があるわけではない。これはオーストラリア以外の国でもそうなのかもしれないが、「漫画の立ち読み」という習慣、あるいは文化が存在していないようにすら感じる。本屋では中身が確認できるようになっているため、漫画以外のものも含め確認程度に読むことはできるが、漫画雑誌や単行本を丸々タダで読むような日本的な漫画の立ち読みカルチャーは存在しない。日本人は「コンビニに寄ったついで」「待ち合わせの時間つぶしに」といった「ついで」の機会を通して漫画に触れる時間が圧倒的に多いだろう。
少年漫画だけでなく少女漫画も多く見られた
日本の文庫本と比べるとかなり大きい






手塚治虫は海外でも漫画の神と認識されているようだ







日本の漫画産業の売上低下の原因について語られる際に、コンビニ利用客の立ち読みがやり玉にあげられることが多々ある。立ち読みは間違いなく出版売上の低下の要因の一つだが、立ち読みを一つの文化として捉えた場合、この文化が与える漫画産業あるいはアニメ産業への影響は大きいのではないだろうか。つまり、消費者が立ち読みを通じて日常的に漫画に触れることで、彼らの目が肥え、やがて消費者全体の漫画に対する審美眼が磨かれ、レベルが底上げされるということである。結果として、より幅広い年齢層の読者を生み出す土壌を形成し、それがより優れた漫画家や作品を生み出すきっかけとなり、ひいては「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」などの作品に見られる「作品名の文章化」や、思い出したくない過去を自虐的に描く「中二病」系作品のような作風といったより細分化されたトレンドを生み出すのではないか―と私は考えるのである。



海外の漫画とアニメ
海外の漫画やアニメに明るくないため説得力に欠けるかもしれないが、本屋に並ぶ日本の漫画と比べてみても、海外の作品はやはり単調で、作風や画風に幅や彩りが見られないように感じる。日本のアニメ史においては、「機動戦士ガンダム」による「正義対正義(悪の不在)」の導入によってストーリー性が大きく変化したとされているが、一方で海外の漫画やアニメ、とりわけアメリカの作品は昔から今も変わらず「絶対正義対絶対悪」の勧善懲悪を貫いたままであり、その例は「スーパーマン」、「X-MEN」、「バットマン」、「ヤング・ジャスティス」などに見られる。これらの作品は原作者による執筆が終了した後も焼き直しの形で別の作家が筆を執り、新たな設定や展開を加えられ掲載が続けられている。その絵柄も、昔からのいわゆる「アメコミ」的なままである。勧善懲悪というわかりやすいストーリーが海外作品の主軸となっているため、子どもをメインターゲットに制作されることが多い。そのため、大人でも漫画を読むことが一般的な日本と異なり、海外では今でも「子どもの娯楽」としての認識が大きく、漫画やアニメを好む大人たちは「ギーク(オタク)」として偏見の目で見られるようである。これは私自身が現在滞在中のオーストラリアで出会った外国人から直接聞いたことでもある。


ヤング・ジャスティス

日本のアニメが海外に輸出される際にも、「子どもに悪影響を及ぼすことのないように」との配慮で表現が規制されることがある。たとえば「ONE PIECE」のサンジは海外ではタバコではなくキャンディーをくわえている。「セーラームーン」の一部は性的表現、同性愛表現とみなされカットされている。

オーストラリア人の友人は興味深い点を指摘してくれた。それは「商業的に成功したアニメであったり、その結果有名になった作品であれば、大人が見ても他人から偏見の眼差しで見られることはない」というものだ。多くの人々の共通認識として、「漫画やアニメは子ども向けであり、大人になってもそれらを楽しんでいる人々はオタクだ」というものがあるが、一方で「商業的に成功したものは人目を憚ることなく楽しめる空気がある」という。その典型的な例がディズニーだという。日本でも、他の一般作品はいわゆる「オタクアニメ」として忌避するが、ディズニー映画には寛容な態度を示す・・・という人は程度の差はあれど存在するだろう。ディズニー以外の作品の例を挙げるなら、「ザ・シンプソンズ」、「キング・オブ・ザ・ヒル」などがあるが、これらの作品をはじめとする米国作品の多くに家族愛といった普遍的メッセージが見られる。このことからも、特にアメリカを中心とする海外の漫画・アニメ産業全体が子どもを主な視聴者として定めていると推察できるのではないだろうか。


厳密には人形アニメに分類されるロシアの「チェブラーシカ」。国によって重視するメッセージは異なってくるだろう。余談だが、ロシアの多くの作品は大人でも怖くなるほどの陰鬱な雰囲気で満ちていて不思議だ。

もちろん、海外にも大人向けとされるアニメはある。上で挙げた作品以外には「サウスパーク」「ファミリーガイ」「フューチュラマ」などがある。日本のアニメと比較して目立つ違いは、海外の大人向けのアニメはブラックユーモアや下品な内容を扱うことが多いという点だ。漫画については定かではないが、同様に大人向けのものは存在するだろう。


インターネットとアニメ
「漫画とは年齢を問わず楽しめる娯楽であり、そこには数限りない作品が存在する」という価値観が当たり前の日本人にとって、日本の漫画やアニメがいかに深みのある優れた文化であるかを客観的に認識するのは難しい。最近になりやっと政府も「クールジャパン」なる語を標榜して海外へのコンテンツ発信に力を入れようと本腰を入れる素振りを見せているが、それ以前から海外の人々はインターネットを通じて日本の漫画やアニメを楽しんできた。インターネット上に違法にアップロードされたアニメには日本語のセリフを理解できるファンが自ら彼らの母国語で字幕をつけ、その他大勢のファンがそれを共有し動画サイト上で視聴している。そして、それぞれの作品について掲示板で感想を熱く語り合っている。

インターネットを通じて高まる日本のアニメ人気はやがて現象的なものとなり、コスプレといった活動に発展する。時折、日本のメディアでも海外の漫画ファンやアニメファンの様子が取り上げられることがあるが、実際に彼らのコスプレを生で目にするとその熱狂ぶりに驚かされる。オーストラリアでは昨年で10周年を迎えた映画・漫画・アニメのファンイベント「スーパーノヴァ」が毎年開催されるが、会場には気合の入ったコスプレに身を包んだ漫画オタク・アニメオタクのオーストラリア人が多く集まる。彼らのコスプレを生で見た私はそのレベルの高さに本当に驚かされた。初音ミクや鏡音リンのコスプレをしているものまでいて、ここまで認知されているのかと衝撃を受けると同時に、日本に住んでいた頃に読んだ外国人の日本産漫画・アニメへの熱狂ぶりを伝える記事は真実だったのだと知るのであった。


漫画とアニメのポテンシャル
こうした状況をインターネットや現実で目撃すると、漫画やアニメは大変大きな潜在力を秘めた文化だと実感させられる。良き漫画や良きアニメは、インターネットを通じて世代を超え再度消費されるに留まらず、時にその枠を超えた波及効果をもたらし、新たなブームを巻き起こす。また作品に流れる思想や表現方法は新しい世代と作品に影響を与える。
イタリアでのファンの間でのマジンガーZ人気は宗教的だという

たとえば、昨年の10月に放送を開始し、二日前に最終話の放送を終えたばかりのTVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」でエンディング曲として起用されたイエスの「ROUNDABOUT」は1971年に発表されたアルバムの収録曲だが、このアニメの放送をきっかけにブームが再燃し、ダウンロード販売サイトでは軒並み売上急増YouTubeでの再生回数も急上昇している。




イエス「Roundabout」、アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』効果で売上が20倍に! http://alfalfalfa.com/archives/6265863.html


こうした現象を目の当たりにする瞬間はとても興奮する。

映画「マトリックス」も良い例だ。この映画は過去の多くの映画作品から着想を得たとされているが、「攻殻機動隊」や「AKIRA」の影響も受けていることで有名だ。


漫画やアニメの違法アップロードは許されるものではないが、インターネットの力が無ければここまでの波及効果も起きないだろう。映画や音楽、漫画やアニメといった芸術は娯楽としての側面の強い文化だが、これらが外交戦略上重要であるという指摘も存在する。インターネットを通じて日本の漫画やアニメが視聴でき、それについて共に語り合う仲間が大勢いるということは、単に彼らにとって好ましいだけでなく、我々にも利益をもたらす現象であり、日本のメディアが伝える「他所の国で日本の漫画・アニメが持て囃されている」という事実だけで終わるものではないのである。
こうしたことをぼんやりと考えながら、オーストラリアで海外の動画サイトを利用して英語字幕付きの日本のアニメを鑑賞していると、「日本では当たり前に見られるアニメ」が途端に崇高なものに見え、日本人にとっては一娯楽であるこの文化がここまでの熱狂を生み出していることに興奮を覚える。終いには日本人に生まれたことに誇りさえ抱いてしまうのである。そして何より、プロ・アマ問わず日本のこのコンテンツを外国人が理解可能な言語に訳している字幕翻訳者は大変素晴らしく、誉れのある存在だと認識させられ敬服してしまう。彼らこそ、日本の予防外交に最も貢献している存在ではないだろうか。


日本を離れなければ経験として知ることはなかっただろう。日本の漫画・アニメはやはり最強だった。

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